祖父が通った盲学校を訪ねるとヘレン・ケラーの足跡が…

残された手がかりは、年代不明の顔写真と、武男さんが盲学校を卒業している事実のみ。

祖父の宮岸武男さん(故人)

石川県立盲学校を訪ねると、ある新聞記事が残されていました。1937年6月11日掲載の記事には「盲学校を訪れたヘレン・ケラー」との見出しに、彼女が満面の笑みで記念品を受け取る写真が掲載されています。

盲学校に残されている北陸毎日新聞1937年6月11日の記事

実はヘレン・ケラーは日本に3度訪れています。北海道から九州まで全国各地を巡り講演会を行う中、金沢には、初来日の1937年に訪れていました。

では一体なぜ金沢に…?

石川県立盲学校・座主真奈美教頭「金沢を訪れるきっかけとなったものがこちらに」

盲学校に飾られた「心鏡高明」と書かれた額。

林銑十郎が書いた「心境高明」の額

心鏡高明とは、肉体の眼はなくても心の眼を開き勇気を持って生き抜くようにと願いを込めたもので、これは当時の内閣総理大臣・石川県出身の林銑十郎が書き、学校に贈りました。

ヘレン・ケラーが東京を訪れた時、総理がこの額の話を伝えたところ、生徒たちを激励したいと言い金沢訪問が決定、学校で講演会が行われました。

武男さんはこの記事の写真に写っているのか、詳しく見ても、写っているようには見えません。

1937年訪問時の写真を見ても武男さんの姿はなく

学校の資料から、ヘレン・ケラーは2回目の金沢訪問を果たしていることがわかりました。