■“在任期間7年8か月” 長期政権築いた安倍元総理のこれまでの歩み
“ポスト小泉”の有力候補として、存在感を増していった安倍元総理。2006年に自民党総裁選に挑みました。相手は麻生太郎氏と谷垣禎一氏です。
「よって安倍晋三君が当選者と決定しました」
そして、戦後で最年少の自民党総裁に就任しました。
安倍元総理
「51歳、初挑戦というなかで、身に余る得票をいただいた。目指す日本は“美しい国、日本”であるということを訴えて参りました」
その後、2006年9月に、第90代内閣総理大臣として第一次安倍内閣が発足。しかし、松岡農水大臣が事務所費問題などを受けて自殺。その後も不祥事が相次ぎ、2007年の参院選挙で民主党に大敗を喫することに…
安倍元総理(2007年9月)
「本日、総理の職を辞するべきと決意をいたしました」
1年足らずで、退陣を余儀なくされた安倍元総理。後に退陣の理由について「潰瘍性大腸炎が悪化した」と明かしています。
辞任から5年後の2012年、自民党総裁選に再び出馬。石破元防衛大臣らを破り、総裁に返り咲きました。年末に行われた総選挙では、与党民主党を破り、第二次安倍内閣を発足させました。長期政権の始まりです。
安倍元総理(2013年9月 米・ニューヨーク)
「 世界経済回復のためには3語で十分です。Buy my Abenomics!」
第二次政権では、大胆な金融緩和や財政出動などを特徴とする経済政策“アベノミクス”を推し進めて行きました。
2015年9月には、安全保障の分野では論争を呼ぶ、アメリカとの集団的自衛権の行使を部分的に可能とした「安保法制」を成立させました。
いわゆる“安倍一強”として長期政権を築いていく安倍元総理。
安倍元総理(2017年2月)
「私や妻が関係していたなら、これはもう総理大臣も国会議員も辞めることは、はっきり申し上げておきたい」
在任中には「森友学園」や「加計学園」をめぐる問題で追及を受けました。
デモ
「安倍やめろ!安倍やめろ!」
安倍元総理
「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」
また、「桜を見る会」では前夜祭の費用を安倍事務所が補てんしていましたが、安倍元総理は国会で否定。事実と異なる答弁をしていたことが問題となりました。
安倍元総理(2020年12月)
「私が知らない中で行われていたこととはいえ、道義的責任を痛感しております」