真珠湾の急襲作戦「壮ナルカナ 快ナルカモ」

原口さんは空母を護衛する巡洋艦の航海士として真珠湾攻撃に参加し、そこで交わされた “日本海軍の交信” を詳細に記録していたのです。

(記者)原口さんは記録は細かかったんですか?

原口静彦さんの妹 長門昭子さん:
「記録好きでしたね。なんでん書きよったですよ、記録は本当に緻密に書いてね。何点何ミリも間違わないような書き方でした」

日誌は原口さんの母、ミサヲさんが戦後までひそかに保存していたものでした。

原口さんの次女 田崎京子さん:
「あれだけは…父の母になる祖母がパッとって どこかに隠していたという風に聞きました。“門外不出”という父の表書きもありました」

日誌には作戦に参加する海軍士官としての “高揚する気持ち”も綴られています。

12月7日《東洋ノ盟主ガ 今ヤ引キシボリタル矢ヲ 打チ放ツベキ 時ハ来レリ》
《ソノ第一矢ハ 我等ガ機動部隊ニヨリ 報イラントス。壮ナルカナ 快ナルカモ》

《第一次攻撃隊発進。折から当方紅色の雲に映え 幾百の空の秀英 見事なる編隊を組み次から次に南下す。勇ましき世紀の門出なり》

そして──《奇襲成功セリ》

『太平洋上 日本帝国の興亡浮沈を双肩に担って 米英撃滅の火蓋を切らんとす。生死もとより省みるところにあらず』日本ニュースの音声(米国国立公文書館蔵)

真珠湾攻撃の様子は『日本海軍の一方的な勝利』として当時のニュース映像でも華々しく伝えられていました。

『かくて真珠湾頭 壮烈無双の一大決戦は展開され、戦史未曽有の大戦果がおさめられました』日本ニュースの音声(米国国立公文書館蔵)

しかし、戦中日誌には勇ましさだけではない “現実” も記録されているといいます。