復興は「2割ぐらい」

震災前駅の近くに住んでいた伏見明義さん(73)。伏見さんは、10月まで妻の照(てる)さんと大野駅の清掃員として働いていて、駅から町の変化を見つめていました。

伏見明義さん「(大野駅周辺は)町の中心部ですね。今ではもう中心は大川原の方になったけど。あんなにいっぱい建物あったのにね。みんな無くなっちゃって」

伏見明義さん

現在は大川原地区の災害公営住宅に住む伏見さんですが、元の住宅は大野駅のすぐ近くにあります。

伏見さん「ここには家があったけど、早々にここは壊しましたね。」
井上和樹アナウンサー「ここにも家が建っていたんですね。」
伏見さん「壊して何年も経つからこんなになっちゃって」

大野駅周辺の避難指示の解除は「住民の帰還を前提」に行われましたが、11月までに帰還したのは51人。震災前の1%にも及びません。

伏見さん「その向こうが大家さんの家なんだけど、会津に家を建てたからこっちには帰ってこない」

伏見さんは、以前駅の周辺に行きつけのお店がありました。「喫茶レインボー」です。

かつては町の中心部に店を構えていましたが、原発事故で休業を余儀なくされました。しかし、2年前店主の武内さんは復興が進む大川原地区に場所を変えて、店を再開させました。

喫茶レインボー・武内一司さん「はいどうぞ」
伏見さん「ありがとう。ずいぶんご飯多かったな」
武内さん「大丈夫。食べられるから」

伏見さんが毎回注文するのは「レインボーランチ」。場所は変わっても味は昔から変わりません。

伏見さん「うまいね。」

町の中心部にあったレインボーは、当時町民たちの大切な社交場でした。

武内さん「(当時の店は)役場も近い。銀行も近いしみんな来てた、うちの店に。」

当時を知る武内さんは、大野駅周辺の復興が進まなければ、町の本当の復興には至らないと話します。

武内さん「大熊町全体で見て、まだ2割ぐらいの復興だと思う。大野駅前ができたら3割、4割半分近くなると思う。それできるまではダメ。」
伏見さん「俺は何にも言いようがないから見守るだけ」