「行列博」と呼ばれて

あらゆるパビリオンはすべて行列に次ぐ行列でした。

特にアメリカ館の「月の石」は、見るまでに数時間待ちは当たり前で、曜日によっては、途中であきらめる人や、倒れる人も続出したといいます。

6年前の東京五輪の経験も生きたそうです。

特に行列の評判は悪く「これじゃ『人類の進歩と調和』じゃなくて『人類の辛抱と長蛇』」だ」などと揶揄する声も続出しました。しかし、滅多に見られない人類のお祭りだ、とばかり何度も何度も通う人も多数いたのです。

行列に文句を言いながら、何度も訪れる人たちが…

次回はどうなる?

万博の名誉総裁は当時の皇太子明仁親王、現在の上皇さまでした。

また、東京五輪(1964年)につづけとばかり、名だたる日本企業や、研究者、芸術家、建築家たちがこれでもかと起用され、国をあげての大博覧会となりました。

さらに鉄道・地下鉄の建設など、大阪における大規模開発・整備がなされ、当時としては破格の総額6500億円あまりが支出されたといいます。

日本中を巻き込んで183日にわたる長い長いお祭りでした。

あまりの大盤振る舞いに、批判もありましたが、それでも、世界中の最先端技術を集めた万博は「これぞ未来世界」という姿を世界中にアピールし、結果、国際博覧会史上初めての黒字を出して幕を閉じたのです。

……さて、次回はどうでしょう。