ピーファス(PFAS)という物質がある。1万種類以上存在するといわれる有機フッ素化合物の総称だ。水や油をはじき熱に強いなど用途は多岐にわたり私たちの生活にもさまざまに活用されている。だがPFASの中には発がん性など人体に悪影響を及ぼすことが懸念され既に製造や使用が禁止されているものもある。日本では3種類。つまり少なくとも残る9987種の物質に網がかけられていないままなのである。人体に入れば排出されず蓄積し、水や土壌にあれば分解されることなく永久に残る“エターナルケミカル(永遠の化学物質)”といわれるPFAS。今年世界に先駆けてアメリカのある州でPFAS全面禁止を義務付ける法律が可決成立した。
実はそこには一人の女性の命を懸けた訴えがあった。番組は独自に取材した…。

「学校の水は安全じゃないから飲んじゃダメ。死んじゃうよ」

日本では2010、2021年にPFOSとPFOAの製造・輸入が原則禁止となり、先日PFHxSも禁止されることが決まった。だがアメリカでは1万種類を超えるPFAS全てを禁止する法律が誕生した。ミネソタ州だ。取材すると“ある女性の物語”に出会った…。

今年1月24日、ミネソタ州議会で一人の女性がスピーチした。

アマラ・ストランディさん
「私は今20歳で15歳の時にステージ4の繊維層状肝細胞癌と診断されました。これは500万人に1人という非常にまれな肝臓癌です。これまで20回以上の手術を受けて、その中には2回の肝臓切除と胸部を切開する手術が1回含まれています。私に何の落ち度もないのに有害な化学物質にさらされてしまいました。そして私はこの癌で死ぬことになります」

アマラさんは幼いころ水遊びが大好きだった。その土地の水や土壌に有害なPFASが多量に含まれていることなど知る由もなく…。15歳で肝臓癌と診断され10時間もの手術の末に腫瘍を取り除いた。

父・マイケルさん
「腫瘍を摘出した後、腫瘍が完全に肝臓に蓄積していたことがわかりました、重さは7キロ近くありました」
妹・ノラさん(17)
「小さなバレーボールくらいの大きさだったそうです」
父・マイケルさん
「あの子はその後45日間、半昏睡状態になりました。その間何度も死にかけました。(中略~回復後)アマラは自分の癌には何か原因があると感じていました。しかしそれを特定できるものは何もありませんでした。PFASが彼女に癌の原因だと証明できるかというとできません。しかし、疑いはあるのです。」

妹・ノラさん
「アマラと私は闘病生活のかなり早い段階である疑いを持ちました。姉が癌と診断された翌年の夏こんな話をしたの…。『3Mは私たちから1マイルしか離れていないのよ。学校の水は安全じゃないから飲んじゃダメ。死んじゃうよ』みたいな…」

アマラさんが暮らしたミネソタ州ワシントン郡には1950年代からPFASを製造する世界的化学メーカー『3M』の工場があり、PFASを含む廃棄物の処分をワシントン郡で行っていた。実はワシントン郡、州内の他の地域に比べ10代の癌の発生率が1.7倍。アマラさんの高校ではこれまで彼女以外に4人もの生徒が癌を患っていた。

『3M』では有機フッ素化合物のうちPFOS、PFOAの有害性を認め2000年に製造中止を宣言した。しかし、それから間もなくして3M社員がPFASによる健康被害を訴えている。2002年には工場敷地内の地下水から有害なPFASが検出された。そして、まさにこの年アマラ・ストランディさんは生まれている。
ミネソタ州は飲料水の水源を調査。すると有害なPFASが検出され、14万人の住人がその水を飲んでいたことが分かった。
2010年、州は、環境と飲料水に損害与えたとして『3M』を提訴。
2018年、『3M』が汚染除去の費用として約1200億円を支払うことで和解。しかし…。

ミネソタ州公害防止局 クーデル副局長
「水の浄化には莫大な費用がかかることがわかった。下水システムからわずか450mlのPFASを除去するのに約4億から26億円かかる。PFASに完全に対処する唯一の方法は発生源からPFASを削減することだ。そのため業界に製造過程や製品でPFASを使うことをやめるよう求めている」

2015年ころから州議会は全面禁止を模索し始めた。するとすぐに圧力がかかったという。

PFAS規制法案を提出した ブランド下院議員
「ワシントンDCや他の州から支持基盤の弱い議員を脅すために来た人たちがいた。上院の議員には特に強い圧力がかかっていた。非常に攻撃的だったそうだ」

PFASを使う製品が主力商品の業界はいくらでもある。法案の審議は何度も停滞した。それを知ったアマラさんはついに自らが議会で証言することを決意した。

父・マイケルさん
「議事堂に行くたびに声が弱弱しくなっていくのがわかりました。娘は遠くまで歩くことができなかった。委員会室に彼女を連れて行くときは、前まで車椅子で行って、そこから演壇までは歩かせるようにしました。弱いと思われたくなかったんです…」
妹・ノラさん
姉はこの問題を終わらせる人になりたかったのです。私たちの州のため、彼女にコミュニティのため…。」
3月6日、アマラさん5回目の公聴会…。

アマラ・ストランディさん
「右腕・手・指が動かなくなりました。かつてのように髪を編んだりピアノを弾いたりすることもできなくなりました。今回はもう手術はできません。もう試せる治療法はないのです。私の人生は有害物質によってこうなりました。『3M』のような企業と協力することで難しいことも解決することができます。ミネソタ州はPFASの危機を解決するリーダーとして羽ばたくことができるのです。今が輝くチャンスなのです…」

喉にできた腫瘍のためにうまく声が出せない状態だったが、文字通り声を振り絞ってアマラさんはスピーチを全うした。
その思いは議会の背を押し、翌月ミネソタ州議会は全てのPFASを規制する法案を可決した。だが、その成立をアマラさんが知ることはなかった。法案成立の3日前、4月14日アマラ・ストランディさんは20年の生涯を閉じた。彼女が州を動かし成立させた世界で最も厳しいPFAS規正法は、“アマラ法”と呼ばれている。父親は最後に言った…。

父・マイケルさん
「ミネソタ州では『私たちはこんな化学物質には耐えられない』と声を上げました。他の州や国でもできるのです」

命を懸けて訴えた法律は成立した。しかしもう4人で家族写真をとる機会は永遠に失われた。