「緑色の旗ばかりになると思った」
Jリーグが開幕する1993年の前年、その前哨戦として行われたのが、リーグ初の公式戦「Jリーグヤマザキナビスコカップ」(現 JリーグYBCルヴァンカップ)。当時の日本のサッカーは、プロ化こそしたものの、野球に比べ、一般市民には、まだまだなじみは薄く、日本代表もワールドカップに出場したことがない時代だ。
その中で異彩を放っていたのが、ヴェルディだった。三浦知良やラモス瑠偉、武田修宏、北澤豪、柱谷哲二など当時の日本代表がズラリと名を連ねる強豪は、10クラブ総当たりの予選リーグを首位で突破すると、準決勝では鹿島アントラーズを一蹴、順当に決勝へと駒を進める。

このスター軍団に挑んだのが、10クラブで唯一母体を持たず、市民が株主となってクラブを支えるというエスパルス。メンバーは長谷川健太、大榎克己、堀池巧の“清水三羽烏”、さらにカズの兄・三浦泰年や澤登正朗など、静岡出身の選手が中心。クラブ発足後半年足らずの新興チームが快進撃を続け、ファイナルの舞台まで駆け上ってきた。

1992年11月23日、舞台は、快晴の国立競技場。当時、国内で行われるサッカーの試合で多くの観客が集まるのは、トヨタカップ(現 クラブワールドカップ)ぐらいだった時代に、チケットは完売、超満員の5万6,000人が詰めかけた。
前評判は、試合も、サポーターの数もヴェルディの圧倒的優勢。試合当日のSBSアナウンサーのリポートを聞き直すと「スタンドは、読売の緑の旗ばかりになるかと心配しました」。しかし、ふたを開けてみると、スタンド右半分はエスパルスのクラブカラー、鮮やかなオレンジ色に染まった。