語り部はなくなるから物で伝える

この日、宇佐市にある市民団体「豊の国宇佐市塾」の塾頭、平田崇英さんが資料館を訪れました。「豊の国宇佐市塾」はアメリカ軍が撮影した空襲映像を入手するなど、戦争の記録や遺跡を発掘し、平和の尊さを訴えています。平田さんは川野さんが収集した資料に驚いている様子でした。

豊の国宇佐市塾 平田崇英塾頭:
「川野さんは貴重な仕事をした。1点1点非常に貴重なものが多い。ただ個人的に維持していくのは大変ですから公的な場所で保存するというのがこれからの方向だろうと思います」

戦争について家族に多くを語らなかったという川野喜一さん。長男の孝康さんは資料を説明する父親の様子を動画に記録し、体験談を学ぶようになったといいます。

孝康さん:
「2年後の終戦80年に護国神社で新たな展示をします。父の思いがまた少しでも伝わればありがたいと思います」

川野喜一さん(2016年)

予科練の帽子をかぶり、亡き戦友への弔いを続けた川野さん。戦後78年、戦争体験者が年々少なくなり、国際情勢も緊迫化する今、遺された資料は改めて私たちに平和の尊さを問いかけています。

当時、川野喜一さんは「語り部というのはなくなりますね。これは仕方ないです。実際に使った品物を保存しなければ将来に伝えるといっても伝える言葉がなくなる。伝える人が亡くなるから物で伝えないと」と話していました。

大分予科練資料館は来年5月下旬に閉館する予定です。