この新事実を2021年に発見したのが、現場を案内してくれた、長野市戸隠の林部直樹(はやしべなおき)さんです。


ふだんから地元の史跡を調べるなど、歴史が好きな林部さん。

どのように見つけたかというと…

林部さん:「地図を見ている中で、これはあきらかに前方後円墳ぽいなというふうに目に留まりまして」

林部さんが見ていたのが、国土地理院が公開する地表面の凹凸(おうとつ)が分かる地図=陰影起伏図(いんえいきふくず)です。


よく見ると、鍵穴のような形をしていることに気が付き、実際に現地を訪れて確信に変わったといいます。


林部さん:「円墳とされている部分がすぐにわかったので大きいし、この後ろにもしかして地図上で見た前方部があるのかなって思って、こちらに来たらこれはそうじゃないかと」

素人の目にはわかりづらいですが、この場所は、前方部にあたります。

林部さんが市に連絡し、専門家などが、前方後円墳であるとの見解を示しました。


全長はおよそ80メートルで、4世紀後半に造られたとみられています。

林部さん:「じわじわと凄いことなのかなという感じは受けていますけど、うれしいですね」