危機的状況の田植踊り 学生たちが担い手に

舞台に上がるおよそ1時間前。役場支所に設けられた控室で、メンバーたちは、入念に準備を進めていました。避難先もそれぞれ違うため、こうして集まるのは、貴重な機会だと言います。

その中に、少し緊張した表情の若者たちがいました。去年の夏から踊りに参加している東北学院大学の学生たちです。

「上のひもは上から下へ。下のひもは下から上へ。やんないと。わかる?」

保存会の紺野宏さん。衣装の着付けの指導にも、熱が入ります。

宏さんの家は、田植踊りの世話役をしてきた「庭元」と呼ばれる家で、代々、地域の人たちは、この家で練習をしてきました。本番当日は、紺野家から出発し、神社や農家を回ったのちに、最後は庭元に納める「笠抜き」と呼ばれる踊りが披露されました。

南津島の田植踊り・1999年

原発事故で津島を追われた後も、宏さんは家の手入れを続け、避難指示の解除に合わせ、再び住めるように改装しました。いち早く故郷に戻れるよう、家を改装した宏さんにはある決意がありました。

紺野宏さん「私は「新たな開拓者」として津島に戻ることを決意しました。将来の津島において、名もなき「ともしび」となれば本望です」

その地域で長年大切にされてきた田植踊りですが、原発事故で担い手が各地に避難し、高齢化もあいまって、危機的な状況が続いています。こうした状況に、去年の夏から、東北学院大学の学生が、実際に踊りを学んで、次の世代への橋渡しを担っています。