■ 核被害の実態を訴えた世界のヒバクシャ
長崎に原爆が落とされてから間もなく77年。広島・長崎で証明された核兵器の威力を背景に、ロシアは今ウクライナへの威嚇を続けています。

唯一の戦争被爆国でありながら、日本は結局『核保有国の不参加』を理由にオブザーバー参加さえしませんでした。
日本からの発言は、持ち時間 わずか5分の ”NGOとしての発言” のみ──
会議の中で被害の実態を訴えたのは「グローバル・ヒバクシャ」たちで、2千回を超える核保有国による ”実験の被害者” です。


カザフスタンの男性
(旧ソ連、セミパラチンスク核実験場から100キロの場所で生まれた):
「両親から生まれた子供は6か月と8か月までしか生きられず、その後に生まれた私には腕がありませんでした。放射線はゆっくりと人体を破壊していくのです」

キリバス(太平洋・赤道直下の国)国連大使:
「太平洋では300回以上の核実験が行われました。マーシャル諸島やジョンストン島、クリスマス島、フランス領ポリネシアが核実験場として使われました。
(歌う)~私たちは 大きなひとつの家族だ~」
いま核兵器が使われたら、放射能を恐れて助けにも行けない。気候は変動し、飢餓が起きる。『核兵器は、人類共通の脅威』なのです。
核戦争勃発の危険性がある今、原点である広島・長崎の記憶と積み重ねてきた医療などの経験が世界から求められています。

締約国会議2日前の6月19日には、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンが主催するフォーラムが開かれ、世界各国のNGO関係者やメディアが集結しました。

被団協・事務局長木戸季市さん(82):
「広島も長崎も町全体がこうなったわけ。人間になるためには原爆があったらダメなんですよ、世界に。そのためにたくさんの人が命を懸けて訴えてきた」

アメリカの法律家の女性:
「私はアメリカにいますが、長崎にしたことを聞いて、とても恥ずかしい。アメリカでは、ほとんどの人が核兵器禁止条約の事を聞いたことがありません。彼らは知らない、だから理解できないのです。」


ウィーンのシンボル、多くの観光客が集まるシュテファン大聖堂です。
5才の時、長崎市で被爆した宮田 隆(82)さんは、HIBAKUSHAと自ら記したビブスをつけて、地元の人や観光客の中に飛び込みました。

宮田さん「How are you ?」
市民「写真を撮ってもらえませんか?メキシコから来ました」

市民たち:
「彼は有名人なの?」
「何で有名なの?」
「彼は原爆の生存者なの」
「ワオ」
「長崎の被爆者って書いてあるわ」

市民「ウクライナから来ました。たくさんの人が毎日死んでいる。核戦争にならないことを祈ってる」