今から25年前の1998年10月、日本長期信用銀行、通称「長銀」が破綻した。当時、頭取として破綻処理に奔走した安斎隆氏に、舞台裏と今の時代につながる教訓を聞いた。

買い手探しや不良債権の分離、リストラに奔走。「資産処理は正々堂々しかない」

――日銀で長銀の破綻に向けた対応の中心にいたが、突然本丸の長銀の頭取になった。

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
私は信用システムとか信用制度全般をどうするかという担当理事で、個別銀行の経営に携わるとは思っていませんでした。法律を早急に作って、信用システム全体を安定化させないといかんと。僕には逃げる道はありません。誰かがやらないといけない仕事を自分に命が来たらやります。

1990年代、バブルが崩壊。97年には山一証券や北海道拓殖銀行などが相次いで破綻するという金融危機が起こった。続いて迫っていたのが、長銀の経営危機だった。長銀は企業への長期融資を専門にする銀行で、高度経済成長を支えてきた。しかし、バブル期に不動産融資にのめり込み、多くの不良債権を抱えていた。

――アメリカのサマーズ財務副長官が来日して、長銀の考査資料を見せろと?

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
アメリカからあなたたちには処理能力がない、我々に任せろときたわけです。サマーズ氏が来ているときに(速水)総裁と一緒に対面しています。総裁が「相手は財務省の高官で特定されているからいいじゃないか」と言うんです。「今日はいずれにしても出せません」と答えました。

当時、日銀の信用機構担当の理事だった安斎氏は、サマーズ財務副長官の要求を拒否した。

――日本の資産を守らなければいけないという使命感からか。

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
政策の独立性です。金融システムを維持するかどうかという極めて大きな課題です。その行く末を決めるような場面で、他国の人に機密書類を見せるのはダメです。

長銀の破綻回避に向けては、小渕恵三総理が住友信託銀行との合併を提案したが、実現には至らず、長銀は46年の歴史に幕を閉じた。長銀の最後の株価は2円だった。長銀は特別公的管理を申請し、一時国有化され、破綻処理が始まった。投入された公的資金は8兆円に上った。

安斎氏は頭取として、長銀の買い手探しや不良債権の分離、リストラに奔走した。

――リップルウッドというアメリカの投資ファンドに売ることになって新生銀行になるわけだが、ハゲタカに売らなくてもよかったのではないかという人もいる。

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
僕は「ハゲタカか、あんたたちは」と聞きました。

――相手は何と言ったのか。

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
「いい資産があるから買うんだ」と。僕は国の代表として資産処理を考えて、マーケットの評価を受けようと思っているわけですから、正々堂々しかないんです。

――当時、日本の大手銀行に引き受ける余裕は?

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
「安斎さん、お気の毒だ」というだけ。あの当時、すれすれに資本は維持できるくらい。どの銀行も不良資産を抱えていました。

――なぜあれほどすさまじいバブルが起こって、惨めなほど崩壊してしまったのだろうか。

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
みんな同じ間違いをやっているからです。自分も得したいと思って、日本人は真似事が大好きで、人がやるとやります。上位行がやると下位行もやると。

――土地を担保に、担保価値の100%どころかそれ以上貸し込む。

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
120出してもその後上がるから大丈夫だという話です。銀行に検査に行くと、そういうのがいっぱい出てくるわけ。その後130になっているから何でもないと言われれば何でもない。銀行の中でも支店と支店で競争していて、そういうことをやった人がいい点数を稼いで、やらないところは出世が遅れるわけです。

長銀の破綻処理を終え、頭取を退任した安斎氏は2001年、ATMの手数料収入を主な収益源とするアイワイバンク銀行、現在のセブン銀行を設立した。

元日本長期信用銀行頭取 安斎隆氏:
アメリカのいろいろなネットバンクの失敗は、バーチャルだけを追いかけたことです。リアルがほしいのです。その最中にセブン銀行の話があったわけです。ATMのネットワークはリアルのネットワークで、もちろんバーチャルもできる。あれ(コンビニ)こそ典型的ではないかと。