「和平合意を結ぶ者は、殺されるリスクを負うのが当然」

1999年5月。交渉期限の5年を過ぎてもオスロ合意は前進しませんでした。仲介役だったアメリカのクリントン大統領は自身の任期終了間際に、もう一度和平交渉を立て直したいと模索。翌年の7月にアメリカで首脳会談を開くことを提案したのです。

この時、出席をためらっていたアラファト議長を交渉の席に着かせるため尽力したベイリン氏。その後、クリントン氏と話す機会があったと言います。

ヨッシ・ベイリン氏
「クリントン大統領の話によれば、アラファト議長に合意に向けての枠組みが書かれた紙を渡したところ、アラファト議長は受け取り目を通したのだと言います。そしてクリントン大統領に会談を申し入れ、アラファト議長はクリントン大統領にこう言いました。『大統領、私にあなたの提案を受け入れてほしければ、あなたは私の葬式に参列しなければならない』と。私は大統領に、『それで何と応えたのですか?』と聞くとクリントンは、『君なら何と答える?』と聞いてきました。私だったら、『だから何だ?』と答えると言いました。和平合意を結ぶ者は、殺されるリスクを負うのが当然です」

こうして新たな合意を目指した交渉は決裂しました。

ヨッシ・ベイリン氏
「現在の状況は悲劇です。私のような人間は、妥協策を模索しようとします。『両サイドからの暴力を回避するために何ができるか考えよう』と。犠牲になるのは、ほとんどが市民だからです。」