世は「コメ余りの時代」減反政策に…
ようやく自給が実現できて名実ともにコメが“主食”となった頃に、日本人の食事は欧風化が進行し、コメ離れに拍車がかかっていました。
新潟のコメの生産量が最高となってから2年後の1970年(昭和45年)、政府は米の生産を抑制するために、稲作農家に作付面積の削減を求める『減反政策』をスタートさせます。
国が生産量と米価を管理し全量を政府が統制する「食糧管理制度」で、コメの余剰をうけた買取価格よりも売渡価格が安い“逆ザヤ”となり、歳入不足による赤字の拡大が背景にありました。
この『減反政策』は、2018年度に廃止になるまで続きます。

≪後半『コメ王国の未来… 日本一は どこへ向かう?』へ続く≫