養子縁組を呼びかける新聞広告
きっかけを作ったのは、市内で産婦人科医院を開業していた菊田昇医師。1973年に出した「ある新聞広告」が制度創設につながりました。

「生まれたばかりの男の赤ちゃんを我が子として育てる方を求む」
養子縁組を呼びかける異例の広告でした。
菊田昇医師(1977年取材):
「日本は非常に子殺し天国で対策をしていない。新しい養子制度をつくらないといけない」

産婦人科の医師で養子縁組をあっせんする認定NPOの理事・星野寛美さんは、今から40年前、菊田医師を支える市民活動に参加していました。
認定NPO「環の会」理事 星野寛美さん:
「子どもの命を救うためには、養子縁組をして実の子として戸籍に入れるように実子特例法が必要だとすごいパワーで話していたのを印象深く覚えている」

小さな新聞広告が、やがて国会を巻き込んだ議論を呼び起こし、「特別養子縁組制度」の創設に繋がっていきます。ただ、その代償として菊田医師は「医業停止」という行政処分を受けることになるのです。いったい当時、何が起きていたのでしょうか。