◆なぜ時効成立にもかかわらず、執着したのか

特捜部は関係者の供述に翻弄されながらも、粘りの捜査によって、東京から遙か遠く離れた金沢で、ようやく「現金10億円」を差し押さえることができた。特捜部からの緊急の要請にも、迅速に対応した「金沢地検チーム」との連携プレーも功を奏した。

金丸にとっても、またその意を受けた長男にとっても、「現金10億円」がまさか金沢まで移動していたとは予想外の展開であった。
最終的に、この「現金10億円」は、金丸がゼネコンから受領した裏献金で「岡三証券」のルートで購入した「ワリコー」を現金化したものであることが明らかになった。購入後には乗り換えを繰り返すなど、買い主にたどりつかないよう細工した取引も確認された。
しかし、この「ワリコー」の購入時期が、1986年(昭和61年)1月だったことから、すでに時効が成立しており、金丸脱税事件の起訴事実には含まれなかったのである。
つまり、1993年3月の時点では、脱税事件における刑事訴訟法上で定められた、公訴時効の5年が経過しているため、立件の対象にはならなかったのである。

それにもかかわらず、特捜部にとっては千金の価値があった。決定的な金丸の「たまり」を発見したことは、時効に関係なく、金丸脱税事件の動機を裏付ける「とどめ」となったのだ。
長年にわたりゼネコン各社からの裏献金を、「日債銀ルート」の「ワリシン」だけでなく、金丸夫人が使っていた「岡三証券ルート」で「ワリコー」を運用していたことも判明した。
その「ワリコー」を金丸が個人的に保管していたこと、また現金化したあとも私的に保管し、前述の通り、遠方の親戚宅を利用して隠していた事実が、明確に浮き彫りとなったのだ。

◆動機の解明に大きな役割

長男を取り調べ、「10億円」を追跡した山本元検事は捜査の意味を次のように強調する。

「いわゆる現金10億円という不正蓄財、いわゆる『たまり』を、金丸がコソコソ隠していたことは、『たまり』が金丸本人に帰属するということを証明した。金丸本人が差配して、自分のものとして溜め込んでいた『たまり』が、こういう形で明確に発見されたということが大きなポイント。『たまりの発見』と『金丸本人に帰属』そして『供述の裏付け』という3つの根幹部分が立証できた。現金そのものは時効になっているが、脱税の動機を示す動かぬ証拠となった」

金丸脱税事件の総指揮を執った五十嵐元特捜部長はこう振り返る。

「立件の対象となっている起訴事実も、同じようにゼネコンからの裏献金を『割引債で運用』していた構図である。これらの起訴事実について、これが『金丸個人に帰属する資産』であり、政党や政治団体に帰属するものではなく、金丸が『脱税の意思を持っていたこと』を明確に裏付けるとものとして、大きな意味、捜査価値があった」

特捜部が時効の成立した「10億円」の所在発見の捜査に執着した理由は、ここにあったのだ。

そしてもう一つ大きな果実をもたらした。東京国税局は満を持して、この「10億円」を含めた「1986年から1989年までの総額33億円」を「隠し所得」と認定し、「重加算税」を含め「27億円」を金丸の相続人に対して「追徴課税」の支払いを命じた。法律では不正行為や租税回避行為があった場合の「追徴課税の時効期間は7年」とされている。時効成立の「10億円」は、東京国税局の「行政処分」にしっかり引き継がれたのであった。特捜部の捜査は、盟友の東京国税局への強力な援護射撃となったのである。

金丸の相続人に27億円を追徴課税した東京国税局

TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
 岩花 光

▪️参考文献
村山治「特捜検察vs金融権力」朝日新聞社、2007年
神一行「金丸信という男の政治力」大陸書房、1990年
立石勝規「東京国税局査察部」岩波新書、1999年

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