原発立地前夜 ~原発誘致と反対運動~

 原発のある柏崎市荒浜地区はかつて「陸の孤島」といわれるなど、地元政財界や住民から地域開発を求める声が強く上がっていました。特に日本石油の柏崎からの撤退や1963年(昭和38年)の「三八豪雪」と言われる豪雪により、孤立した地域の開発を求める地元住民の声は更に大きくなりました。

1963年(昭和38年)新潟県などを襲った「三八豪雪」

 この頃、当時の小林治助市長に政府や東電関係者から原発誘致の働きかけがあり、柏崎市への原発誘致の流れが一気に進みます。1969年3月、柏崎市議会は原発誘致決議を採択、同年9月、東京電力が進出を決定します。

当時の柏崎市長 小林治助氏

 一方で住民の反対運動が起こり、荒浜地区では1972年に住民投票が行われ、8割近くの住民が反対の意思表示をしました。しかし、この反対の声を切り崩す動きが 国会、政府、電力事業者の間で始まりました。
いわゆる『電源三法』の創設です。