◆一人称報道が「許される場合」とは

対立する意見があれば、双方から声を聞いて、客観的に報道することが、ジャーナリズムの原則です。こうした一人称の主観報道が許されるのは、自分でなければ報道できないことがある時ではないでしょうか。
私は障害者の父親の立場で、「津久井やまゆり園」障害者殺傷事件の加害者に「私の長男も殺すのですか?」と質問しました。これは私にしかできないことだろう、と踏み切ったわけです。
こうした一人称報道を可能にするのは、信頼できる上司や同僚の存在。あとは時間。「やれ」と言われて書くのではない。自分の中で「やらなければいけない」と本当に思えるまでの時間、覚悟を決める時間が必要なのかな、と思いました。
分科会で私は「特殊な人が、特殊な場面だけでできる報道」と考えないでほしい、と言いました。自分の会社で書きたい人が出てきた時に「動揺せずにしっかりと受け止める立場になっていただけたら」と話しました。
◎神戸金史(かんべ・かねぶみ)
1967年生まれ。毎日新聞に入社直後、雲仙噴火災害に遭遇。福岡、東京の社会部で勤務した後、2005年にRKBに転職。東京報道部時代に「やまゆり園」障害者殺傷事件や関東大震災時の朝鮮人虐殺などを取材して、ラジオドキュメンタリー『SCRATCH 差別と平成』やテレビ『イントレランスの時代』を制作した。














