須賀川記者:
「ナイフからカメラへ」と非常に理想的な言葉と取られかねないですが、事件をもう一度振り返ってみたいと思います。

アブデル容疑者は、イスラエル兵をナイフで襲撃したことで銃で撃たれました。長年の抑圧によるイスラエルへの不満から、こういった行為に及んだのではないかと推察されます。
しかし、なぜ無抵抗な状態で倒れているアブデル容疑者を射殺しなくてはいけなかったのかということですが、イスラエルの裁判での供述で、兵士は「テロリストが爆弾を起爆させようとしたため、近くにいた自分の仲間と自分を守るために、アブデル容疑者を射殺しなくちゃいけなかった」と無罪を主張しました。
判決は禁錮9か月となりました。罪は過失致死です。
量刑が軽いなという印象を受ける方もいると思います。一方で、イマドさんが撮影した映像のがなければ、この事案は、闇に葬り去られてしまっていた。一度も誰の目にさらされることがなく、同じような日常が続いてしまっていた。
そういったことを考えると、この犯罪が司法の裁きのスタートラインに立ったという意味では、この事件は非常に大きな意味があったんじゃないかなと思います。
小川キャスター:
まずは映像に残ることが、このタイミングで大切だったということですよね。ただ子どもたちが、カメラであると言っても武器なわけで、その武器を持たざるを得ない状況となっている。
そのファインダー越しに決定的な瞬間、非常に残酷な瞬間を目撃するわけですよね。そうした状況に追い込まれているというのが、まず残酷だなと思ってしまいます。

パトリック・ハーランさん:
子どもがかわいそうですけど、この怒り・悲しみ・苦しみのぶつけ方、当て方はナイフじゃなくてカメラという健全な教えであると思います。完全に無効だと僕は思えません。効力はあるかもしれない。
アメリカの「Black Lives Matter」運動があって、アメリカの警察がボディーカメラをつけるようになったら、かなり行動も改善された。見られているという意識も大事です。














