SDGs達成期限の2030年に向けた新たな価値観、生き方を語る今回の賢者はシブヤスタートアップス社長の渡部志保氏。2023年2月に誕生した同社は渋谷区と民間企業が連携して生まれた会社だ。国際的な新興企業へのサポートを通じて、渋谷がイノベーションの拠点となることを目指している。支援の対象となるのは高齢化社会や防災など、日本の課題を通してグローバル規模の問題に取り組んでいる11社だ。

渡部氏は2008年、Google日本法人に入社。アジアやヨーロッパ、アフリカなど様々な地域でマーケティング業務を担当した後、シリコンバレーにある本社に勤務した。シリコンバレーといえば名だたる企業家や世界を席巻するIT企業を輩出してきたエリア。スタートアップの聖地で学んだカルチャーが彼女の働き方や人生観に大きな影響を与えた。渋谷から世界を目指す企業を支援する渡部氏の2030年に向けた新たな視点、生き方のヒントを聞く。【前編・後編の前編】

日本の価値を再発見。渋谷の魅力は多様性や尖った個性

賢者には「わたしのStyle2030」と題し、テーマをSDGs17の項目の中から選んでもらう。

――渡部志保氏が選んだのは?

シブヤスタートアップス社長 渡部志保氏:
9番の「産業と技術革新の基盤を作ろう」です。

――実現に向けた提言をお願いします。

渡部志保氏:
「日本のネガティブを世界のポジティブに変える」です。

――これは発想を変えていこうということに繋がっていくのですか。

渡部志保氏:
発想を変えていくということもありますし、日本の価値を再発見するといいますか、それはすごく気づかされました。例えば高齢化社会や地震など、日本のネガティブな側面だと思われるところに世界中から課題を解決しに来ているファウンダーの人がたくさんいるなと思わされることがあって、そういう意味で言いました。

渡部志保氏は1981年生まれ。小学校に入るまで渋谷区で育った。小、中学校は神戸で過ごし、高校はハワイへ留学した。アメリカのスタンフォード大学院卒業後、モルガンスタンレー証券に入社。2008年、Googleに入社し、マーケティング業務を担当した。2023年2月には、これまで国内外を問わず多くのスタートアップのアドバイザーを務めた経験を買われ、シブヤスタートアップスの社長に就任した。

――アメリカでいろいろな仕事をしてから、なぜ渋谷に立ち戻ったのでしょうか。

渡部志保氏:
私は幼少期を渋谷区で過ごして、いわゆる地元なのですが、ちょうどコロナ禍の当時、シリコンバレーから数か月子供を連れて帰ってきたという時期がありました。そのときに、たまたまオンライン広告で渋谷区がボランティア、副業人材のような募集をかけていて、それで応募して成り行きで区長と知り合って、そこから全てが始まったという感じです。

――育った頃の渋谷はどんな街だったのですか。

渡部志保氏:
ぼんやりと覚えているのが、歩き回った原宿界隈。確かまだホコ天というのがあって、すごく奇抜な格好をした人たちが原宿駅にいたり。テクノロジーとイノベーションの街というのは私がちっちゃいときにはなかったのかなと。

時代の変化とともにファッションやカルチャーを発信してきた渋谷。90年代後半には、有名IT企業が渋谷に本社を置いたことから、アメリカのシリコンバレーにかけて「ビットバレー」と呼ばれるようになった。現在では、2000社を超えるスタートアップ企業が渋谷に拠点を構えている。

渋谷を拠点にした国際的なスタートアップ企業のビザの発行や、コミュニティ作りなどをサポートしているシブヤスタートアップスは現在、11の企業を支援している。

その一つが、ストリートアートを最先端のテクノロジーでデジタル化する「Totemo」だ。渋谷区では建物や看板への落書きが後を絶たず、それを消すために多くの税金が使われていた。Totemoは世界中からアーティストを招き、決められた場所に絵を描いてもらうことで、単なる落書きではなく、作品としての価値を生み出す試みをスタート。さらにデジタル化することで、その価値を永久的に残し、流通させることでアーティスト活動の支援も行っている。

――渋谷は可能性がある街に見えたということですか。

渡部志保氏:
魅力はあると思います。シリコンバレーやハリウッドは地名ではなくて既にコンセプトじゃないですか。シリコンバレーだったら、何度も失敗を繰り返して100回目で成功するとか、諦めないとか、大きなビジョンを持つとかいろいろあると思います。渋谷は何だろうと考えたときに、多様性だとか尖った個性、ちょっとアングラなカルチャーも応援して、それが意外と世界に刺さったり。ゴスロリとか90年代の青文字系とか、結構不思議なサブカルが原宿あたりからも生まれていたりして、そういうコンセプトは割と世界中で共感される力を持っているものなのではないかなと。自分の次の人生のチャプターとして、日本の良さ、日本の個性と向き合いながらビジネスをやろう、グローバルなことをやろうと。渋谷がそういう街になればいいなと思ったという感じです。