「私は初めから一貫して穏健な多党制だった」

細川氏は 政権発足からわずか1か月あまりで小選挙区と比例代表を並立させ、それぞれ250議席とする政府案を国会に提出。

実はこのとき、細川氏が目指していたのは「政権交代可能な二大政党制」ではなく、「穏健な多党制」だったと言います。それは、小選挙区と比例の議席数を同数にして国民の多様な民意を反映しやすくし、複数の政党が連立を組むことを想定していました。

細川護煕元総理:
「私は初めから一貫して穏健な多党制だったんですが、小沢さんはどっちかっていうと2大政党制を思考してたんだと思いますね。」

松原:
「穏健な多党制ってのが、なかなかイメージおそらくわからないかもしれないですけど、こちらも政権交代可能だっていう意味ですよね。」

細川:
「そうですね。ヨーロッパでは時々ある話ですけども、今日本でもですね、10人以上の政党って6つあるんですよ。穏健な多党制と言った方が、やっぱり民意を吸い上げやすいんじゃないかと思います。」

しかし、法案は参議院で否決されます。自民党の抵抗に加え、連立を組む社会党の一部議員も造反しました。当時、自民党には280人の衆院議員がいて、全員が選挙区で立つには、政府案の小選挙区250議席では足りなかったのです。

廃案の瀬戸際まで追い込まれる中、細川氏は…。