東村慶佐次という地区で、長年撮りためられた写真を集めて作られた字誌(地域の記録)。こちらに掲載されている写真のほとんどは、1人の男性が撮影したものなんです。なぜ地域の姿を記録し続けるのか、男性の思いを取材しました。

山城定雄さん(70)
「高校2年、16歳の時に自分のお金でカメラを買ったんですね。16歳から今日まで、高校の友達、大学、地域のいろんなデータが、何万点とあります」

東村慶佐次の移り変わりを、写真で記録し続けている山城定雄さん。

山城さんは大学を卒業後も、村の職員として働く傍ら、趣味で写真を撮り続け、それをまとめた「慶佐次区字誌写真編」をことし5月に発刊しました。字誌には、自身が撮影したもののほかに、地域や郷友会からも集めた写真が掲載されていて、その数は合わせて1000枚にのぼります。

山城定雄さん(70)
「有名な人とか役員をしていたとかではなくて、ごく普通のおじさん、おばさんも含めて記録に残すことによって、こういう方がこの村で生きていたんだと。じいちゃん、ばあちゃんが写っているよということにつながって、それが故郷に思いをはせることにつながれば、私としては目的は達成かなと思っています」

字誌を見た人は…

慶佐次在住 宮城アサミさん(70)
「全部懐かしい」
Q宮城さんはどこかに写っていますか?
「写っています。初拝みって日の出を拝みに行くわけ。みんな家族が集まって、今年1年また良いことがありますようにって。字誌写真編は宝物ですね、私たちにとって」

慶佐次出身 山城穂高さん(37)
「朝、保育園に行く前に、これ漁港なんですけど、漁港に行ったら叔父がカジキとかいろいろ魚を釣って、それを見ているっていうのをすごく覚えています。あとから写真って撮ることができないので、その当時の写真っていうのは大切だなって思います」

更にこの字誌には、山城さんのあるこだわりが詰まっています。

山城定雄さん(70)
「私の一番のこだわりは名前を入れて作る。もちろん、現在は亡くなった方もいっぱいいるんですけど、名前を記録することによってその血筋を引いた、ルーツを辿ることにもつながるのかなと」

当時の区長と共に民家を訪ね歩いて、写真に写っているほとんどの人の名前を記録したという山城さん。思い入れがある写真を撮影した場所へ、案内してもらいました。

山城定雄さん(70)
「眺望の良いところで。この下にきれいなビーチがあって、そこで石原裕次郎さんとか、浅丘ルリ子さんがバーベキューしたという記録が残っています。とてもきれいな浜だったんですけど、1991年にここに漁港が完成したことによって、砂浜は全く無くなった。やっぱり豊かさの反面、そういった失われた部分もあるというのを、ある意味この写真集を通して見て思っていただけたらなと思っています」

続いて訪れたのは、アメリカ軍の沿岸警備隊『コーストガード』が1962年から30年使用していた、慶佐次通信所ロラン局です。

山城定雄さん(70)
「この中の兵隊たちとは民間の交流もたくさんありましたし、クリスマスの時はこの中に子ども達が招待されて、日ごろ食べたこともないアメリカのお菓子を食べたりとか、区民運動会の時にはリレーに参加してもらったり、勝ち負けはともかく本当に一緒になって喜びを分かち合った。特に、旧公民館の緞帳にコーストガードのマークが入って、なおかつ名前も入っているというのは、それだけ友好の証じゃないかなと私は思っています」

16歳から撮り続けてきた慶佐次の写真を1冊にまとめた山城さんですが、舞台を慶佐次から東村全体に広げて、新たな取り組みを始めています。

山城定雄さん(70)
「東村が村政を施工して今年度が100周年ということで、今100年のまとめの写真集の編集にかかっています。10万枚くらいから厳選していくという、気が遠くなるような。でも普通は写真が無くてどうして集めようか困るが、持っていますから、それをどう使うかというのに悩ましい作業が続いています」

東村慶佐次を訪ねると、街と人々の移り変わりを、50年以上写真に収め続ける、山城定雄さんの姿がありました。


【記者MEMO】
山城さんが54年間で撮った写真を自宅で保存しているハードディスクの容量は18テラバイト。スマートフォンの写真だとだいたい450万枚くらい入るそうです。

東村の100周年を記念した写真集は、今年度中の完成を目指しているということでこちらも楽しみです。