「“喜多川家のためのジャニーズ事務所”って思ってる」

今回の報告書が問題にしたのはジャニー喜多川氏個人の問題にとどまらない。番組ではジャニーズ事務所を長く取材してきた作家・小菅宏氏にインタビューした。彼は言う「ジャニーズJr.との関係はジャニー喜多川にとっての“楽園”だった」と…。小菅氏は1960年代からジャニーズ事務所の取材を重ね、事務所の公式本の執筆も担った元編集者で、ジャニーズ事務所を内側からも見てきた。

作家 小菅宏氏
「朝鮮戦争で何百何千何万の孤児が生まれた。(日経2世のジャニー氏は)この子たちを何とかしてあげたいと思ったらしい」

ジャニー氏は石鹸やアイロンを調達し孤児たちに米兵相手のクリーニング業を覚えさせ、生きる術を与えた。

作家 小菅宏氏
「孤児たちの喜ぶ顔を見てジャニー氏は幸せだった。“もの凄くハッピーな気持ちになった”って言ったのを覚えてる。ああジャニーズ事務所っていうのは、これが源流なんだって思った」

“少年たちを幸せにしたい”という純粋な原点は、いつしか小菅氏が違和感を抱く行動に変化していった。

作家 小菅宏氏
「ジャニーさんが公ちゃん(フォーリブスの北公次氏)の肩抱いて慰めてる。でもその癒し方がマネージャーが所属タレントを慰めてるっていうのではなかった。それ以上は言えないが…そういう感じだった」

この時抱いた違和感が間もなくして確信に変わった。それは金銭問題でジャニー氏が訴えられていた時だった。この裁判の過程で、ジャニー氏の性加害が初めて取り沙汰される。しかし東京地裁は1967年、“性加害は証拠が無い”と結論付けた。その後のある日…。

作家 小菅宏氏
「ジャニーさんが機嫌良い時に、二人っきりの時『例の裁判の…』って言っちゃった。そしたら途端に不機嫌になって『2審でぼく勝ってるじゃない、もうそれだけだよ。それ以上言わないで』って。当分の間、口きいてくれなかった。あの能面のような、絶対本音を表に出さないジャニー喜多川が、私が知る限りあの時が最も内面を吐き出した反応だった」

小菅氏が感じたジャニー氏の“傾向”を姉のメリー氏が察しないはずはなかった。

作家 小菅宏氏
「(メリーさんはジャニーさんの嗜好を)明らかに知っていた。(過度なスキンシップがあると)ジャニーさんにメリーさんが小声で言ってるんですよ。メリーさんが“ちょっと、あれは”みたいに言うとジャニーさんが“違う違う”て英語ではぐらかす。そういう姉弟喧嘩はよくあった」

そんなメリー氏が弟の性癖を黙認するようになったのは、“喜多川家のため”だったと小菅氏は言う。アメリカ時代の喜多川家は決して裕福ではなかった。賢いメリー氏は、富を得るためには弟のエンターテインメントの才能が必要だと見抜いた。つまり喜多川家を守るためにメリー氏はジャニー氏の性加害に目を瞑った。

作家 小菅宏氏
「全くその通りで、それ以外ない。“喜多川家のためのジャニーズ事務所”って思ってる。お金を生む原資がジャニー喜多川の才能だってメリーさんはわきまえてた」