「辞めたら楽、でも意地でも辞めない」語っていた小学生のJuju
Jujuさんは元・F1ドライバーの父・英樹さんの影響で、モータースポーツの世界に飛び込みました。Jujuさんが当時住んでいた栃木県から移住してきたのは、9歳の時。美作に来たのには理由がありました。

(Jujuさん)
「岡山国際サーキットだけが私を走らせてくれて、他のサーキット(年齢制限で)走らせてもらえなかったので」
英樹さんのコーチのもと、Jujuさんは“時速200キロを超える世界”に挑んできました。
(小学生の頃のJujuさん 壁にぶつかって)
「死んじゃう、死んじゃう…」

(Juju さん 2017年当時)
「辞めたら楽だろうなと思ったことはある、けど辞めたくはない。意地でも辞めたくない。それでJujuが辞めると言って辞めた後に、またJujuみたいな子が出来てきて、その子が世界一位になったら嫌でしょう。結構嫌でしょう」

なぜ日本を離れ、主戦場を「ヨーロッパ」の地へ?
夢に向かって突き進んできたJujuさん。国内では通常、公式戦の参加は18歳以上しか認められていないため、実戦経験を積むため14歳からヨーロッパへと渡りました。
(Jujuさん)
「10代のやっぱ1年ってすごく大きくて、やっぱり将来はすごく左右されると思うので、ヨーロッパに行くしかその道はなかったのかなって、今考えれば」

「ノダレーシング」は家族で戦う!
今はそのヨーロッパで戦うJujuさん。ライバルチームには、およそ40人のスタッフがいます。しかし、Jujuさんのチーム「ノダレーシング」は海外で戦う上で資金に限りもあるため、両親を中心にわずか5人のメンバーです。

キャンピングカーで生活を送りながら、各地を転戦しています。

(英樹さん)
「強さは、結束力でしょうね。一人何役もこなします。自分も監督・エンジニア・マネージャーもやって。大きいチームだからこそ手が届かない、、目がいかないそういう部分もある。そこを我々見落とさないように、針の穴に糸を通すことかもしれないけどチャンスは生まれる」

ファミリーチームの「ノダレーシング」は、今シーズン「ユーロフォーミュラオープン」と「ジノックスF2000トロフィー」など欧州の3つの大会に出場していてます。

このうち、ジノックスでは残り2ラウンドを残し、現在トップに立っていて、ヨーロッパ挑戦後、初の年間チャンピオンを狙える位置につけています。
(英樹さん)
「Jujuがしっかりとこなせる環境をつくってあげることが、自分のやりたいこと。Jujuから求めていることはかけらもない」