男子3000m障害でも日本人初の快挙が実現しそうだ。世界陸上ブダペスト(8月19~27日)に出場する三浦龍司(21、順天堂)は、19歳で出場した東京五輪で7位に入賞した。昨年の世界陸上オレゴンは惜しくも予選落ちしたが、昨年、今年とDLで上位に食い込み続けている。今年6月のパリ大会では自身の日本記録を0.01秒更新し、2位という戦績を残した。2年ぶりの世界大会入賞に手応えは十分だ。過去世界陸上で、この種目の最高順位は岩水嘉孝が03年パリ大会の11位。五輪を通じての最高順位である三浦自身の7位を、大きく上回ることが期待される。
ダイヤモンドリーグ2位の価値
6月のDLパリ大会は、三浦の評価が世界的にも上がる結果になった。世界記録(7分52秒11)で優勝したラメチャ・ギルマ(22、エチオピア)に次ぎ、8分09秒91の日本新で2位と大健闘したのだ。有力選手数人がギルマのハイペースに付き、後半でペースダウンしたが、三浦は自身のペースを守り後半で順位を上げることに成功した。
今季国内2レース(5月のGGPと6月の日本選手権)では、前年ほどの走りを見せていなかった。パリで快走できたのは、障害を越えるテクニックが良くなかったからだ。特に水濠で差を縮め、リードを奪う走りができていた。
「いい時の跳び方をしていったら、越えるごとに前との差が縮まっていって、後半になると抜くことができ、(ギルマ以外の選手からは)リードを奪っていけました。国内2レースでは障害に足が合いませんでした(適切な位置で踏み切れなかった)が、パリでは足が合いました。特にそのための練習をしたわけではなく、レースを重ねる中で距離感が鋭くなってきたかな、と思います。何人かの選手が世界記録ペースに便乗してハイペースで走っていく中で、自分は冷静に判断して、最後まで行けるペースで走ることができたと思います。僕の中ではベストな走りができた」
三浦を指導する順大の長門俊介駅伝監督も「水濠は世界のトップの中でも通用する」と三浦の長所を再確認した。そして「DLという大舞台で、自分の力を見極め、力を出し切ったのは成長だと思います。今回のメンバーで2位はものすごいこと」と賛辞を送る。DLの2位とメダル有力候補はイコールではないが、有力な入賞候補であり、メダル争いに加わる1人という評価は世界的にもされ始めた結果だった。
大きなレベルアップを繰り返した三浦
三浦はいきなり想定外の記録や成績を出して、ファンのみならず関係者を驚かせてきた。京都・洛南高3年時(19年)には8分39秒37と、高校記録を30年ぶりに更新。期待の選手ではあったが、大学初戦のタイムは誰も予想できなかった。20年シーズン前半はコロナ禍で大半の陸上競技会が開催できなかった。7月に競技会が再開され、その最初の全国大会がホクレンDCシリーズだった。
三浦はホクレン千歳大会に8分19秒37と、岩水が持っていた日本記録に0.44秒と迫る学生新、ジュニア日本新で優勝した。大学4年間で目標とするようなタイムを、いきなり出してしまったのだ。その記録を更新するのは簡単なことではない。いきなり出てしまった想定外の記録を更新できず、苦しんだ選手は何人もいた。
だが三浦自身も長門監督も当時、その心配は全くしていなかった。練習内容などから、まだまだ記録を伸ばせる確かな手応えを持っていたからだ。翌21年5月のREADY STEADY TOKYOで8分17秒46、6月の日本選手権で8分15秒99と日本記録を連発。日本選手権は残り500m付近で転倒したにもかかわらず、抜群のラストスパートを見せて新記録を出した。それも常識では考えられない走りだった。前年の学生記録は三浦にとって、世界を目指す第一歩に過ぎなかった。それが見ている我々にもわかってきた。
そして東京五輪に19歳で出場。7月30日の予選で8分09秒92と、日本人にとってはるか先の記録と思われた8分0秒台を実現してしまった。日本選手権でも十分に驚愕の記録だったが、短期間でまだ成長するのか、と多くの関係者が感じたに違いない。3日後の決勝は8分16秒90で7位。五輪&世界陸上を通じてこの種目日本人初入賞を、大学2年生の三浦がやってのけた。