左目を失明 戦後の人生のほとんどは病院の中で…

森本さんは、工場の窓ガラスが顔を直撃して、左目を失明。その後、右目も見えなくなりました。被爆直後は脱毛や下痢、発熱などの症状もあり、寝たきりの生活だったそうです。
森本さんは、その後、マッサージ師を目指して大阪の学校に通い、優秀な成績で卒業しました。しかし、マッサージ師になるという夢はかなえられませんでした。

森本千代子さんの妹 古沢郁子さん(1996年 証言)
「戦後の姉の人生は病院の中がほとんどですね。病院の中で注射と点滴と薬と…。苦しみだけの人生ですね。だから本当に姉はかわいそうですね。いろいろとありました。死にたいとか、殺してくれとか」
晩年は自宅で死にたいという本人の願いで退院。「薬も点滴もないので楽だ」とうれしそうに話していましたが、1週間後に血を吐いて亡くなりました。62歳でした。