仙台市出身の体操(あん馬)元オリンピック選手、亀山耕平さん。30歳を過ぎてからの復活劇、そしてついに掴みとった東京オリンピックの舞台、栄光の裏には、彼を支え導いてきた多くの人々の力がありました。東京オリンピックで、思わずあふれた涙の訳とは…。
何回も何回もやめたいと思った
体操元五輪選手 亀山耕平さん:
「(体操を)やめたいって思うことは何回も何回も本当に数えられないほどあって、その時に、やめさせてくれる人いなかったんです」
去年現役を引退し、地元仙台市で指導者の道を歩み始めた亀山耕平さん。自身の選手生活をこのように振り返ります。

亀山耕平さん:
「本当に転換期にいつも人がいて、その人たちがいつも『いや亀もっとやれよ、まだいけるよ』って引っ張り上げてもらったっていう、そういう競技人生でした。なので最後までやってきたというか、やらされてしまったというか、いい意味で、本当に転がってきた体操人生かなというのは、本当に感謝しかないなと思ってます。(幼少期は)常にやりたくないなと思いながら体育館入ってきて、休むときに電話しなきゃいけなくて、それがすごい怖くて」

亀山耕平さん:
「しかも自分で電話しなきゃいけないんですよ。今日ちょっと頭痛いので休みますとか、ズルで。『(先生から)お前な…1回来い』と言われて…。