「違う世界を見せてあげたい」

亀山耕平さん:
「私の恩師である仙台スピン体操クラブの横山茂明先生から体操人生は始まってきて、小学生のときに『もうやめたい』って言った時に『ちょっと耕平、今からお前を連れて行きたいところあるんだ』って言って、日本体育大学、体操日本一の学校に2人で先生と新幹線を乗り継いで」

恩師の仙台スピン体操クラブ 横山茂明コーチ:
「(Q 2人で行ったこと覚えてますか?)
覚えてます当然!体操クラブ休みにして行ったね。
(Q それはどういう思いで?)
なんだろうね…このまま小さくなってほしくないなと。少し違う世界を見せてあげるのもいいのかなと。」

亀山耕平さん:
「いや何回やめたいと言ったかわかんないぐらいで。でも横山先生には日体大まで連れていってもらって帰りの新幹線の中で『ああいう技をやりたいな』とか、『中学生までにはこれくらいの技で』とお話しながら帰ってきた。やめたいと言ったときにやめられない。引っ張り上げてくれる人たちがいっぱいいたんです」

世界選手権・金メダルなど、栄光を掴んだ一方で簡単には手にできなかったのがオリンピックへの切符。ロンドン、リオとオリンピック代表入りはならず、彼は一度、その思いを諦めたといいます。しかしその時、またひとりの恩師が。