実は、この穂高地区でも太平洋戦争の末期、空襲を受け、女性2人が亡くなっていました。

地元の歴史や文化をまとめた「穂高の宝」には『昭和20年5月19日、一機のB29が北から進入し有明地区に12発ずつ爆弾を投下。そこには多くの人たちが苗代つくりや種まきの準備で働いていた。爆弾の破片が女性2人に当たり即死し、数名が重軽傷を負った』と記されています。
空爆の目的は、アメリカ軍にも記録がないため分からず、当時の新聞に書かれていたのは、被害の詳細どころか「損害軽微」とだけ。

爆弾が落ちた場所には「遭難記念」と彫られた石碑だけが傾いたままひっそりと立っています。
■矢口生夫さん
「矢口万代子っていうだがね。俺の親父と後妻と実際のその爆弾にあったおふくろと3人」
矢口生夫(やぐち・いくお)さん87歳。
空爆で亡くなった女性2人のうちの1人が当時43歳だった矢口さんの母・万代子(まよこ)さんです。

■矢口生夫さん
「即死。ええ。こっから(首から)上が飛んじゃったのかな。多分そんな感じだと思うがね。俺はそこら辺は定かではねえがもちろん即死」
矢口さんは万代子さんのことについて、これまでほとんど他の人には語ってきませんでした。