■宮下秀樹(みやしたひでき)さん                                        
「長野県で作ったダムとしては最初で最後のコンクリート式のアーチダム」

決壊箇所からおよそ8キロ上流にある裾花ダムを案内してくれたのは、工学博士で一級建築士の宮下秀樹(みやしたひでき)さん。


長野高専時代の恩師、山崎陽三(やまざきようぞう)さんがダム建設の指揮をとりました。

■宮下秀樹さん
「急流河川で、源は戸隠連邦から発生して50キロくらい流れるが、かなり急こう配ですので大きな土砂を下流に運ぶ」


裾花川の決壊から11年、1960年に建設が計画され9年の歳月をかけて裾花ダムが完成しました。

大雨の時、下流に流れる水の量を4分の3に減らすことができます。

宮下さんもまた、裾花川の歴史を研究し論文を発表し続けています。


■宮下秀樹さん                                            
「昔は口碑伝承といって口伝いで災害の歴史を年寄りが孫子に伝えてきた。そういったことを伝えていかなければいけないなと思います」

冊子の最後の章は地区の防災計画になっています。

情報の取得方法や、災害時の避難行動についても詳しく掲載されていて、山口さんは、地区の自主防災会を立ち上げ活動を行っているということです。