いまから74年前、当時の長野市のおよそ半分が浸水したといわれる水害をご存じでしょうか。
いまも県庁のすぐ脇を流れる裾花川(すそばながわ)が氾濫し、実に3か所で堤防が決壊したという大災害を今に伝えようという活動を取材しました。


呆然と濁流を見つめる大人と子ども。


崩れ落ちる住宅。


1949年=昭和24年9月に発生した長野市裾花川の氾濫の様子をとらえた写真と当時の記録です。

その災害を今に伝えようと活動している人たちがいます。

■山口英男(やまぐちひでお)さん                                             
「ちょうど鉄橋がありましてあそこから濁流が押し寄せて100メートルくらいが決壊したと」

裾花川から200メートルほどの荒木(あらき)地区にすむ山口英男さん。

区長を務めていた3年前に、地域の有志と記録をまとめ始めました。


■山口英男さん                                         
「昭和24年の裾花川の決壊を知っている人がどんどんいなくなっていくと。裾花川が決壊するなんてありえないよね~それじゃあまずいんじゃないかと」

山口さんも生まれる前の水害。

残っていた資料はごくわずかでした。

当時のことを覚えている地域のお年寄りと、実際に現地を歩きながら証言を聞き出し、実態を紐解いていきました。


1年かけてまとめた冊子が、「伝承郷土誌ー水害に生き残る」です。

地区の全戸に配布された冊子によると、長野市は県庁から南側の長野駅を含む犀川と千曲川に挟まれたエリアが浸水しました。