母は翌日 姉は9日後に遺体で見つかる… 毎年 2人の墓に手を合わせ

政本治 さん(2018年当時)
「高い位置におって、あとから迎えに行くと。午後8時前に電話したときは電源が入っていないと。正直、悲しいけど、涙が出ませんね。この現状を見ていると。今、生きている人間がどうやって生活していくか、それを考えるだけですね」
母・朝子さんの遺体は、発災翌日、百数十メートル流されたあたりで見つかり、姉・典子さんも9日後に土砂の中から見つかりました。
災害から7か月後、2人が住んでいた家は取り壊されました。政本さんは毎年、追悼式典のあとに2人の墓前で手を合わせます。
政本治 さん
「5年も経てば、ちょっとずつ和らいでいくというのは確かにありますよね。2人が亡くなったのは悲しいことではあるが、ほかの人も災害にあわれていますので、生きている人が生活できるような形で復興すればとずっと思っています」

被災地では、緊急事業としてハード面の整備が進められています。小屋浦では、建設予定の15基の砂防ダムのうち、12基がすでに完成しました。残り3基も今年度中には完成する見込みです。ただ、2人が住んでいた家はもうありません。あたりは、雑草が伸びた土地が目立ちます。
政本治 さん
「畑は全体的にあった。わたしはしないけど、おふくろがしていた。おやじも」
去年から畑があったところで2畳分くらいを耕し、野菜を作っています。
政本治 さん
「実ができれば、仏壇にでも供えてあげたいなと思ったりもしますけどね」

政本さんは今、ふだんから「災害のときにどう行動するか」を頭に入れて、生活しているといいます。