西日本豪雨から6日で5年になります。2018年7月6日、西日本の広い範囲を襲った豪雨災害。広島県坂町の小屋浦地区では、土石流が町の半分を飲み込みました。この5年で復旧は進み、そこに住む人たちの防災への意識も定着していきました。被災地で暮らす人たちは、前に歩みを進めています。

広島県坂町では20人が犠牲になりました。そして、このうち15人は小屋浦地区で、今も1人の行方が分かっていません。

7月2日、小屋浦地区にある坂町自然災害伝承公園で犠牲者の追悼式が営まれました。

遺族代表 長松秀夫 さん
「5年という長い月日が経ち、多くの被災した施設や建物がよみがえることで、わたしたち遺族の中にあったさまざまな感情が徐々にではありますが、和らいでいくような気がします」

式典には、政本治 さん(62)の姿がありました。母の朝子さん(当時88)と姉の典子さん(当時62)を失いました。5年前の7月6日、政本さんは、雨が激しさを増した午後6時ごろ、近くに2人で住む朝子さんと典子さんのもとを訪れて、自分の家に避難するよう促しました。

母は「食事をとったら避難する」と答え、姉は避難の準備を始めたといいます。

しかし、再び政本さんが迎えに行ったときには、家のそばを流れる小さな川が増水し、激しい濁流に変わっていました。

政本治 さん
「迎えにきたときは、ひさしの下のいた。川があふれていたから渡れなかった。こんなことになると思わんから、『姉と2人で高台に逃げ取ってくれ』と。川より高いから、わたしはあの電柱のあたりにおった」

― そのときは姿が?
「見えていた」

最後に見た2人の姿でした。