全く話し合いの場に立たれようとしなかった…
質問:滑川市・富山県は訴えに対して「部活動は教員の自由裁量によるもの」としていた。どういった感情をもったか?
亡くなった男性教諭の妻:
私自身は教職員ではなかったので、そもそも部活動が自主的な活動だっていう認識がありませんでした。なので、そういうふうに捉えられているということにまず驚いたというのと。ただ、どうして学校の施設で教員が指導を行っているのに、自主的な活動になるのかというのが疑問でしたし。それを認めないというのが、じゃあ誰に責任があってその活動をしていたのか。教員の自主的な活動であるのであれば、教員が全ての責任をもってその活動を統括しなきゃいけなかったのか。生徒の安全を含め、学校の施設を使う責任すべて教員がすべて教員がもたなければいけなかったっていうのがすごく…普通の考えから言うと、不自然というか不思議な感覚だなというふうに思いましたので。そこが、「学校とはそういうもの」と言われてしまうと、そうなのかなと最初思っていたんですけど。実際、上司の方に「この日に部活動をします」という申請をあげて、承認をうけた上でしていた活動でしたので。では「自主的」とは、責任は承認された方にあるんじゃないのかという疑問があったので。そこを全て、教員全ての責任に押し付けるというのはやっぱりおかしいんじゃないかって思ったので。今回そこを裁判所に認めていただいて。認めていただいたので、これは主人に限ったことではないと思うんです。いま現在、休日に部活動されていらっしゃる教職員の方の責任は、教員の自主的な活動ではなく、上司の承認を得た上でやっている活動なので、学校に責任がある。校長先生、上の方の責任があるということを認めてもらえたので、そこを真摯に受け止めて、「自主的な活動」というふうに逃げるのではなく、「学校の責任」というふうに認めて、今後学校運営なりをしていっていただきたいなと思います。
質問:提訴する前、調停をしたときに滑川市の対応に不信感があったと聞いているがどの点か?その不信感は今どうなっている?
亡くなった男性教諭の妻:
すべて自主的な活動であったということで押し切られて、それ以上の話し合いなりを全く進めていらっしゃらなかったので。かといって、自主的な活動であれ、上長の承認を得てやっている活動なので、そこの安全を配慮するということは学校なり市として必要だったんじゃないかという思いがあったんですけど。そこは全く話し合いの場に立たれようとしなかったので、調停では解決をみないなというふうに思いました。そこは裁判を通しても一貫しておりましたので。ご自身の主張をずっとされて、こちらの思いなり、ほかの判例とかを考慮して何かされるということは全くなかったので。すごく無責任だなというふうに思いました。














