私たち家族はもう変えることはできないが、皆さんは変えることができる…
亡くなった男性教諭の妻:
ある日、突然意識残らなくなって家族と意思疎通できないまま天国にいってしまうかもしれない。明日が来るということが、ある日突然、途絶えてしまうかもしれない。子どもの成長を見守れなくなって思い出に残れないかもしれない…。本当にそれは自分の命を削ってまでやらなければいけない仕事なのでしょうか。
家族との時間を奪われてもやらなければならない仕事なのでしょうか。もう一度ご自分の仕事を考えて、どうか一歩踏み出していただきたいです。私たち家族はもう変えることはできませんけど、いま生きていらっしゃる皆さんは変えることができると思うんです。子どもたちに先生という仕事は本当に素晴らしくて、やりがいがあって、楽しい仕事だというふうに思わせてあげたいので、どうかよろしくお願い致します。

質問:どういった思いで訴訟を起こしたのか?
亡くなった男性教諭の妻:
先程も申し上げた通り、40代で仕事をしておりましたので、後輩の方も指導している立場でした。主人だけが働き過ぎているわけではなかったんです。他の先生方も同様のお仕事の時間をされていらっしゃたので。このまま続けば同じような思いをする家族が今後も生まれるであろう。じゃあ何のために主人は死んだのでしょうか。同じようなことが起きれば、何の解決もしなくてすごく悔しいといいますか。教員を使い捨てにしていいのかという思いがありましたし、いま働いていらっしゃる先生たちの健康を守ることが一番大事。それが子どもたちの幸せにつながるんじゃないかというふうに思いましたので、裁判を起こしました。
質問:滑川市・富山県からの謝罪は?
亡くなった男性教諭の妻:ありませんでした。
質問:責任を認めるような場面は?
亡くなった男性の妻:ありませんでした。

質問:謝罪を求めて訴えた?
亡くなった男性教諭の妻:
そうですね…謝罪はしていただけたら、そうなんですけど。うーん…かといって主人が戻ってくるわけでもありませんので。謝罪もですけど、今後どのような対策をとられるのかということの方が私たちは重要だと思っています。
質問:働き方改革が進んでいない現状に対しては?
亡くなった男性教諭の妻:
部活動が自主的な活動ではないというふうに認められましたので。それを含めての労働時間。時間外勤務を80時間超えなんていうのはもうありえない時間だと思いますので。健康に働ける時間。なので、減らすことを今後本気でやっていかないといけない思います。そこを先延ばしにしていたから、いまも病気になられる先生方、または教員は時間外労働が多い職業だということで教職を目指す方たちが減っていることにつながっているんじゃないでしょうか。
質問:男性はどんなお父さんだった?
亡くなった男性教諭の妻:
顧問でしたし。後輩の方の指導もあってなかなか帰ってこれないので。6時くらいに娘に「パパ早く帰ってきて。待ってるよ」っていう動画を毎日送らせていたんです。それを見ながら1時間くらい残業して帰ってきて。「ただいま」って元気に帰ってきて子どもの顔を見て。でも平日は少ししか過ごす時間がなくて、土曜日も日曜日も部活で。なかなか一日一緒にっていう時間がとれなくて。でも本当にかわいがってくれて。毎日毎日絵本の読み聞かせをしてくれて。ちょっとでも家族と過ごす時間をとろうとしてくれていましたけど…すみません。もう無理です。
質問:今回は管理職の安全配慮義務違反。いま出ている給特法の国の議論も含めて望むか?
亡くなった男性教諭の妻:
給特法自体が違法とまでいっていいのかわからないですけど、実態に即していないことは皆さんご承知の通りだと思いますので。今回、部活動も自主的でない職務としての時間と認めていただいたので、そこを含めての労働時間というのをきちんと把握していただく。そして、それだけの時間をかけてやらなければいけない仕事がどこまであるのか。そこをもっと精査して、本当に先生たちがやらなければいけない仕事に取り組んでいただきたいと思います。
質問:松丸先生は「パーフェクトな勝訴」だと言っているが?どう評価するか?
亡くなった男性教諭の妻:
部活動の時間も労働時間と認めていただいたので。そこが認められたということは、すごくありがたかったですし。認められて当たり前だと思いますけど、それが認められなかったのが今までだったので。そこを今の判決ではすべて認めていただけたので私としては満足です。自宅でやっていたテストの採点などの持ち帰り作業というのは、今回は認めていただけなかったというか、触れていない。正確な労働時間というわけではないですけども。
質問:裁判を起こすときに抵抗はなかったか?
亡くなった男性教諭の妻:
ありました。ありました。公務災害を起こす際も反対される方は反対されましたし。ましてや裁判なんて、亡くなった主人の名誉を傷つけるのではという心配もありました。そういうふうに言われることもありました。