「ごめんね」って言ってあげようと思う
質問:現在も無責任だというふうに思うか?
亡くなった男性教諭の妻:
一貫して同じ主張を通してこられたので。全て自主的な活動であった。なので、それによって長時間労働が発生して、病気を発症したとしても、それは教員のせいであろう。市はまったく責任がないという態度でしたので。なんといいますか、じゃあ主人にすべての過失があったのかというふうに受け取れる内容だったので。じゃあ滑川市で働く全ての教員は誰に安全を守ってもらって働けばいいのか。自分の仕事を奪って…体を壊してまで働かなければいけない自治体といいますか、滑川市で働く人は全て体を壊してまで働かなきゃいけないのか。もし体を壊したとしてもそれは全て自分の責任というふうに言われるので。そこは本当に信じられないなというふうに思います。
質問:和解の道もあったが、その可能性はあった?
亡くなった男性教諭の妻:
最後の主張までは、滑川市、富山県はご指針の主張を変えてこられなかったので、そこを分が悪いと思われたのか、そこで和解という申し出はあったようなんですけども。こちらとしてはもう和解の時期は過ぎたと思っておりましたので。はっきりとした判決を出して、責任の所在をきっちり明確にしていただいて、過失があったのはどちらだったのかというのをはっきりしてほしかったので、和解という道はしませんでした。

質問:夫に伝えたいことは?
亡くなった男性教諭の妻:
うーん…頑張ったねって。自分…大好きな仕事で病気になって命を落としてしまったけれども、それは働きすぎ、仕事のしすぎだということを認めてもらえたよ。でもそこまで頑張らなくてもよかったんじゃないかな。もっともっと自分の体を大事にして、「休みたい」「つらい」と言ってくれていたら、今も家族で過ごせていたんじゃないかな。もうちょっと、もうちょっと休んでほしかったな。病気になるまで止めてあげられなくて、「休め」って言ってあげられなくて、ごめんね。と言うと思います。