戦後78年の慰霊の日を迎えた沖縄。糸満市摩文仁の平和祈念公園には多くの県民が訪れました。戦争の悲惨さを、平和の尊さを改めて考える1日ですが、年々、戦争を体験した世代がこの世を去っている現状もあります。

辛い記憶を思い出し多くの人に経験を伝えてきた、沖縄戦を知る語り部たち。先人たちから託された未来への希望は戦争を知らない世代の中で確かに広がりを見せています。

この世を去る『元学徒』たちが経験した悲惨な沖縄戦 

沖縄戦当時、10代で戦場に駆り出され青春を奪われた学徒たち。戦場の凄惨な記憶を背負い、平和を願い続けてきた元学徒たちは、沖縄戦から78年の今年「沖縄を戦場にすることに断固反対する声明」を発表しました。

(元学徒が出した声明)
「今、ロシアによるウクライナ侵攻を背景に、沖縄を含む南西諸島で自衛隊の増強が進められる状況に再び戦争が迫りくる恐怖と強い危機感を覚え、むごい沖縄戦を思い出す。元全学徒の会は日本政府による沖縄へのミサイル配備をはじめとする自衛隊増強と軍事要塞化で、再び沖縄を戦場にすることに断固反対する」

「今、日本政府がすべきことは侵略戦争への反省と教訓を踏まえ、非戦の日本国憲法を前面に、近隣の国々や地域と直接対話し、外交で平和を築く努力である」

この声明が発表された1月12日。『元学徒の会』共同代表を務める元白梅学徒隊の中山きくさんが亡くなりました。

元白梅学徒隊 中山きくさん(2015年に取材)
「包帯を交換しろ。おしっこがしたい。水、みず、もう一日中この中は兵隊が叫んでいるんですよ」

当時、看護要員として戦場に動員されたきくさん。

薄暗いガマ(壕)の中に怪我が酷く、足を切り落とさないといけなくなった負傷兵が運ばれてきました。のこぎりで骨を切るゴリゴリとした音が響く中、きくさんは泣きながらその体を押さえました。ガマの周りには死体が溢れかえっていました。

まだ16歳だった少女がみたあまりに残酷な現実。共に動員された22人の学友は戦場で命を落としました。

元白梅学徒隊 中山きくさん(2015年に取材)
「なんだか『自分たちだけ生き残って申しわけない』という気持ちがあって本当に苦しかった」

葛藤を乗り越え自身の経験を語れるようになるまで半世紀あまり。語り部としての活動を始めたきくさん。戦争の愚かさと平和の大切さを訴え、90歳を超えても次の世代に思いを託し続けました。

元白梅学徒隊 中山きくさん(2014年に取材)
「一人ひとりの胸にこの体験は残ると思う。この子たちが戦争のない国づくりに努力してくれると思う。信じています」