「我が身のことのように…」「夫妻のことは記憶から消えない」
2022年の4月、私は、村武夫妻の自宅がある住宅地を訪れました。
自宅のチャイムを鳴らしてみましたが反応はありません。外にあるガス栓には「閉栓中」と書かれていました。
向かいに住む森脇康則さんは、村武夫妻との思い出を話してくれました。
(森脇康則さん・2022年)
「私の孫が遊びに来たときには、奥さん(亥聖子さん)が窓から顔を出して『あんた、おいでおいで』って言って、孫におもちゃをくれたことが何回かありましたね。すごく可愛がってもらった。哲也さんとは飲みに行ったこともありました」
事件前を振り返ると、森脇さんは、何かしてあげられたのでは?と後悔する気持ちもあるのだといいます。
(森脇さん)
「哲也さんは、ここ数年目に見えるほどに痩せてきていた。病気もあって『体が痛いんじゃ』と言っていたが、明るく振る舞っていました。事件があった日、私は家の窓から救急車が来ていたのを見ていた。寂しかった」
「村武さんがいつか戻ってくるかと思って、玄関にかかっている傘を毎日見ていたんですよ。帰ってきたら傘を取るだろうから、目印になると思っていた。でもこの傘は誰も使うことはないんですよね」

「町では、コロナ禍になって一堂に会することが減ってしまっていたんですよね。過去を振り返ると立場的には私はつらい。責任を感じている。つっこんで話を聞くべきだったのか…」
亥聖子さんは、元気だったころ花の世話をよくしていたそうです。2人が亡くなって初めての春、こんなことがあったといいます。
「この前、村武さんのところのチューリップが4本くらい咲いたんですよ。立派なチューリップでね、なにかの思いもあったのかもしれん、チューリップにも」
さらに1年がたち、再び、村武夫妻が暮らしていた住宅地に足を運びました。傘は玄関先にぶら下がったまま。村武夫妻の家の様子に、大きな変化はみられません。事件以来、人が出入りする様子は見ないと、複数の住人が話しました。

(近くに住む女性)
「(村武夫妻は)仲がいいご夫婦でした。ご主人が大声で怒っているような声も聞いたことがありませんでしたし、奥さんが病気をしても一緒に散歩をしておられるところも見たことがありました。この辺りはお年寄りが多い。私も夫もまだ介護を必要としていないけれど、あと10年、20年生きると思うと、我が身のこと…と考えてしまいます」

向かいに住む森脇さんは、いまも村武夫妻のことを思い出すことがあるそうです。
(森脇さん)
「いつも私が犬の散歩で家を出るとき、村武(哲也)さんが洗濯ものを干しながら『おはよう』って言ってくれていましたね。夕方は洗濯ものを今度は取り込みよって、あいさつすることもありましたね。いまも散歩をするから、村武さんの家の方を見たときには思い出します」
いっしょに飲みに行ったことや、孫におもちゃをくれたこともあった村武夫婦への思いを聞きました。

(森脇さん)
「身内とは違いますが、こうやって家がある限りは、ここには村武さんというご夫婦がいたなぁ、という思いは、私が死ぬまで消えないと思うんです。小学校の高学年になる孫に、覚えとるかと聞いたら、覚えていましたよ。『あのおばちゃんね、あのおじちゃんね』と」