震災での経験、生き残った人が求めたのは…
嶋川武秀:「震災は大きかった。それは故郷を追われた人をたくさん見たから。家に帰れず避難所生活をした人たち…避難所に来るのは衣食住がない人、人間生きていくうえで衣食住が大事。その衣食住を満たされたときに人は何を求めたのか。その人たちは究極の命の選択をしてきている…右の道を行った人が助かって、左に行った人が津波に飲まれて亡くなった…そうした人たちが、衣食住を満たされたあとに求めたのは“笑顔”だった」

「だから笑顔にこだわりたい。だからたくさんの避難所を回った。笑顔は人が生きていくうえで絶対大切。結果として政治の道に行ったが、お笑いと政治はそんなに変わりはなくて、目の前の人を笑顔にするのは“お笑い”。高岡帰ってきて街がさびしくなっていて、この街を笑顔にするときに漫才だけで笑顔にするのもあるけど、街づくりから笑顔にすることもあるということに行きついた。政治家になるのも笑顔にしたい、笑顔になれるための政策を、1つでも見つけ出して取り組んでいく」

市議となってからは、妻と子ども2人とは離れ離れの生活が続く。議会があると会うこともできないし、漫才師と二足のわらじを履き続ける嶋川は、地方での仕事もある。妻が富山県にいないことで批判されることもあったというが、乗り越えていきたいという。家族の距離を縮めているのは毎日恒例になっているLINE電話でのやりとりだ。一方、東京で生活する妻・佳奈は…。
嶋川の妻・佳奈:「物理的に大変です。子供2人がこっち(東京)、朝起きて夜まで面倒見るのはすごく大変。波乱の1年半でした。でも、なんとか一歩ずつ乗り切ると自信になった。そんな家族だなと思えるようになりました」

嶋川が目指す政治家とは?