育ててほしい、育てたくなる政治家
嶋川武秀:「私が大切にするいい言葉は“思慮を尽くし至誠を貫く”です」

それは富山県福光町、現在の南砺市出身で、嶋川と同じ早稲田大学を卒業し、富山県議を経て、1928年の第1回普通選挙で衆議院議員になった松村謙三の言葉だった。松村は厚生大臣や農林大臣、文部大臣を歴任、日中の国交がない時代に何度も訪中し、日中友好のために尽くした政治家で、安倍の祖父・岸信介の“政敵”だったことでも知られている。
嶋川武秀:「“至誠”という言葉を、立派な政治家になったら色紙に書こうと思います。ハハハ。いまから練習しておかないと」
“県議の先”は考えているだろうか。

嶋川武秀:「考えてない。1つだけ言えることは政治家になりたいと思ったときに、市議になった1回目はわがままだと思っている。でも今回(の県議について)は、なりたいとか次のステップに行こうという話ではない。高岡を笑顔にしたいという取り組みに対して、スピード感を見せるしかなかった。そこから先はどれだけ支援者に政治姿勢について理解いただけるか、そこからは皆さんの声で身の振りようが変わってくる。育てて欲しい、育てたくなる政治家になりたい。それが次のステップ」
同じ質問を妻・佳奈にすると…。

嶋川の妻・佳奈:「先かあ。ちょっとだけですが(政治に)関わらせてもらって感じたのは、自分が行きたいと言って行くんじゃないんですよ。なんか不思議な流れでみんなが作ってくれるのか、世の中つくってくれるのか、県議だって最初から想定してなかった。勉強していく中でそういう方向性あるのかなと。自分が行きたいだけでは行けない。この先も不思議な流れでなんかかついでくれる人がでてきて、もしかしたらその先、県議だけでは終わらないかもしれない。それがどこなのかはいっぱい選択肢があります」

嶋川が富山県議選高岡市選挙区で得たのは、市議の初当選で得た1万1604票を、3214票も上回る1万4818票。嶋川を支持する人たちは確実に増えている。嶋川が流れていく先には何が待っているのだろうか?