朱に染まらないことが大事だが…

嶋川武秀:「いい悪いを別にして影響を受けたのは安倍(晋三)さん。私というより妻だけど。安倍さんが第一次政権が終わってしまった後に、妻が講演を聞きに行ったんです。うちの妻は大御所の落語家やタレントを扱っていて、どんと落ちた人を見てないので興味があって講演に行った。そうしたら、安倍さんがものすごくポジティブで、明るい陽の気の人だった。実際に見に行って影響を受けて…俺もその影響を受けた。俺、影響を受けやすいんだよ(笑)それで妻に誘われて一緒に自民党員になっちゃった」

市議になってしばらくして、佳奈は夫が政治家として成長しているのを感じたという。嶋川が高岡市議になったときに同じく初当選した出町譲市議らと結成した新会派「高岡愛」で、かつてないほど熱心に勉強をする姿を見たからだ。

嶋川の妻・佳奈:「(成長しているのを)感じます。勉強しているなあ、市政のこととか。すごく勉強している。高岡愛でいっぱい勉強会やらせてもらって。吸収の早い人だから。すぐに自分の言葉にして話すんですよ」

聞いた話を自分の頭に落としこみ、人前で話す術は漫才師としての才覚だろうか。嶋川はとかく慣例にしばられがちな地方議会で、前例を打破して改革を実行してきた。そこでは“あえて逃げずに中に入る”ことが大切だと考えていたという。

嶋川武秀:「朱に染まらないのが大事。朱に染まると昔ながらの体制に入っていってしまう。でも変えるには中から変えるしかない。外からあーだこーだと言っても批判でしかない。中に入ると提案できる。ここに解決の糸口がある。逃げるなというのは芸人の世界で教わった。舞台に出ないと笑いは取れない。中に入るしかない。同じだよね」

嶋川が政治家を目指す原点となったのは震災での経験だったという。2011年3月11日、嶋川は福島で漫才師をしていた。そこで経験したのは…。