“保守王国”といわれる富山県では、野党候補も力を持たず、自民党が地盤ごとに候補者の調整を行うケースが多かった。しかし、その“保守王国”で今年2月、衝撃が走った。2021年、富山県の高岡市議選に初めて立候補、過去の同市議選で最多得票の2.5倍を超える1万1604票を獲得しトップ当選をした自民の嶋川武秀市議(当時)が、4年間の任期のうち1年半という途上で県議選出馬を表明したからだ。

果たして県議選の結果は…嶋川が1万4818票。前回同選挙区でトップ当選だった同じ自民党候補の倍近い差をつけての圧勝だった。富山県議選の“台風の目”となった嶋川は市議と漫才師の二足のわらじを履いていた。笑点にも出演していた漫才コンビ「母心」の“おかん”の方だ。なぜ嶋川は市議となり、そこから県議に転身しようとしたのか?そして嶋川を支える妻はどう思っているのだろうか…。

3月31日、富山県議選が告示される日の午前8時、嶋川は妻の植野佳奈、支援者たちと地元、高岡市にある射水神社に県議選の勝利の祈願に訪れた。



佳奈は妻であるとともに、嶋川が所属する芸能事務所の社長でもある。佳奈はかつて所属タレントを探しに「母心」のステージを見に行き、嶋川に声をかけていた。その後、嶋川が出会って3回目で結婚を申し込んだ“電撃婚”でも知られている。
佳奈に前回の市議選からまだ1年半しか経っていないことを聞くと「楽しいです」と答えた。人生は変化がある方が楽しいという趣旨のようだが、市議になってまだ1年半しか経っていないのに、県議に転身しようとすることをどう考えているのか。

嶋川の妻・佳奈:「私にとってはいきなりではないです。自然な流れで。(市議を)1年半やっていく中で市議の限界をすごく感じました」
高岡市議として、嶋川は自らも不妊治療を経て2人の子どもを授かった経験を生かし、不妊治療の助成事業を強化したり、少子化と人口減少対策のため、新婚世帯に対し引越し費用などの支援事業をしたりするなど、市議としての実績を重ねてきた。しかし、市議としての限界を感じていたという。
嶋川の妻・佳奈:「(市議は)いろんなこと決める権限もないし、市議としてできることは意外と限られていて、それは県でやれば動くことも、すぐに動かすことができないもどかしさがありました。県議でもいいじゃないと、どっちかというと私が行けばという話をしました」
県議へと踏み出す“後押し”は佳奈から言い出したという。

嶋川は、1998年、早稲田大学在学中にチューリップテレビの企画で漫才に初挑戦。それがきっかけで商社マンになる夢を捨て漫才の道へ。その後、漫才コンビ「母心」を結成し、「笑点」への出演など芸人として順風満帆の中、市議に転身した。実は、市議になるときも“後押し”をしたのは佳奈だったという。それは嶋川が常に持っていた故郷への強すぎる“愛”を感じていたからだ。

嶋川の妻・佳奈:「もともとすごく地元が好きで、つねに高岡なんですよ。気持ち悪いくらい(笑)そんなに好きなら帰ったらいいじゃないと。でも帰ったって何ができるか、芸人だし。ただいきなり帰ると言っても地元も困るし、そこで“政治家”に行きついた」
夫婦とも政治には関心があったという。しかし、なぜ自民党だったのか。ここでも妻・佳奈の“後押し”があったのだ。