「邪魔にならないよう自決しよう」集団自決の当時の状況とは
その惨状を島の人たちは次のように証言します。
集団自決を証言してきた 吉川嘉勝さん(84)「赤松隊の本部壕から防衛隊の方が来て、村長に耳打ちをして。村長が『日本兵は最後の一人まで戦うと言っているから、自分たちは邪魔にならないように自決をしよう』と」
集団自決で祖父を亡くした 小嶺一さん(68)「詳しいことは分からないが、自分のお爺さんが、長男の嫁とか家族を殺して、自分も首をつって死んだという話を聞いた」
当時現場にいた座間味さんは―
元村長 座間味さん「記憶にはないですね。移動したのは覚えていますけどね。強烈だったということですよ」

集団自決の記憶は抜け落ち、混乱の中で聞いたアメリカ軍の迫撃砲の音だけが耳に残っています。
座間味さんは戦後、島の人からの体験を聞き集めて平和学習の講師を務め、村長時代には、戦跡の整備や50回忌を区切りに途絶えていた慰霊祭の復活に尽力してきました。

座間味さんは過去の過ちがなぜ起きたかを今こそ検証すべきだと話します。
元村長 座間味さん「これが前島。ここは昔カツオ船がいたんですよ。それで前島に日本軍は駐屯していなかった」
日本軍が駐留しなかった前島。集団自決が起きた渡嘉敷島の隣にあって。住民300人は一つの壕に身を隠し、無事終戦を迎えています。
有事に備え、進む軍備拡大 島民からは様々な意見も
こうした事実があることから、座間味さんは政府が進める軍備拡大は慎重にすべきだと話します。
元村長 座間味さん「戦災がないわけですここは。要するに集団自決が起こったところは、日本軍が駐屯していたということです。我々、戦争を経験者としては基地はない方がいいと言える」
一方で、軍備拡大には賛成しつつ、次のように話す遺族もいます。

小嶺さん「国を守るならちゃんとした方がいい。軍備拡大は反対しない。とにかく起こったことに対してちゃんとした情報を流してほしい。それだけ。そしたら集団自決した人も捕虜になって助かってるよ」
集団自決があった島で、住民たちが紡いできた歴史が鳴らす警鐘は78年経ったいま、一層大きく響いています。