仙台医療圏4病院の再編・移転や広域防災拠点の構想を巡り、宮城県の村井嘉浩知事は、20日の定例記者会見で、「必ず30年後、50年後に評価されるプロジェクトだと思っている」と述べて、改めて実現に強い意欲をみせました。
4病院再編構想や広域防災拠点構想の村井知事の進め方を巡っては、3月17日に閉会した県議会で、野党会派のみならず与党会派も苦言を呈す場面がありました。
村井知事は4病院再編構想について「ただ病院を移すことではなく、二次医療圏をどうするのか、仙台医療圏をどうするのか。また、救急搬送時間をどうすればいいのかといった非常に大きなテーマから入っていった」、一方、広域防災拠点構想については「大災害に備えてしっかりとした拠点を、誰もが集まりやすい場所につくっておく必要があると考えた。でき上がるまではいろいろな意見があろうかと思うが、できあがった暁には良かったなと必ず言ってもらえるだろうなと思う」と、構想を打ち出すに至った経緯を改めて説明しました。
そして、「横道にそれるが…」と前置きし、「こういう時に思い出すのは岡崎栄松さんの話」と語りました。岡崎栄松は終戦直後の1046年=昭和21年に仙台市長に就任。激しい空襲で一面焼け野原と化した仙台の街の復興に心血を注ぎました。
村井知事は、「定禅寺通や東二番丁通、青葉通、広瀬通をつくる際に、立ち退きを迫られた住民から反対運動が起こり批判を受けた。大論争となったが、岡崎は『必ず将来、仙台市の発展につながる」という信念に基づいて行った。それが、今の仙台市中心部の発展に間違いなくつながったと私は思っている」と評し、「政治家というのは、人の意見をしっかり聞いて一歩一歩進めることも非常に大切だが、20年後、30年後、50年後にどうなるのか考えて絵を描き、批判があっても進んでいくという度量が求められているのではないかと、私は常々考えている」と自身のリーダー論を披瀝しました。
その上で、「2つの構想は必ず、30年後、50年後に評価されるようなプロジェクトだと思っているので、目先ではなく長い目線でしっかりと頑張っていきたい」と改めて実現に強い意欲をみせました。














