ロシア大使館員と親しくなった内閣情報調査室の水谷俊夫(仮名)は、会食のたびにプレゼントを受け取るようになる。ハンカチセットにはじまり、高速道路のプリペイドカード、デパートの商品券…。徐々に警戒心を解きほぐされた水谷は、ついに現金を受け取ってしまう。(全4回の2回目/第1回第3回第4回を読む)

■ロシアスパイ会食の作法


ロシア大使館のグリベンコ一等書記官が会食のたびに渡してくる金額は10万円になった。

「金額が高すぎるとは思いました。これに見合うものをグリベンコにフィードバックしなければならないのかなと思いました。ただ相手が何も求めてこない。何も目的もないのにお金をつかませるという行為が不思議でした」

水谷はこう語る。
いつしか10万円になっていた“手土産”
一緒に行く店は居酒屋ばかり。席も個室ではなく、通常のテーブル席だ。食事中、雑談に終始している。水谷は安心感を抱いていたのだ。ただ、心の奥底で「何かを返さなければ」という気持ちは沸々とわき起こっていた。それがロシアのスパイの狙いだったのだろう。

会食は2か月に一度、そのたびに渡される10万円は、月にすれば5万円の小遣いになる。水谷は「定期的に渡されているうちに本能的にあてにするようになった」という。金は中毒性のあるものに変質した。

筆者は「金を返そうとは思わなかったのか」と水谷に尋ねた。

「そりゃあ思いましたよ。続けてもらっていれば、50万円、100万円になってしまいます。いざ、あなたの話は有益ではないと言われたときには、まとめて突き返してやろうと思っていました。でも、しばらく様子を見てみようと…」

水谷はこう答えた。

もらった金は競馬や酒、海外旅行に使った。グリベンコは何も求めてこない。互いの家族や日本でのイベントの話が多かった。

「日本でボリショイ大サーカスが開かれますが、ボリショイってロシア語でどういう意味ですか?」
「大きいという意味ですよ」
「じゃあ、ボリショイ大サーカスというと、大大サーカスという意味ですね」


会話はこんな他愛のないものだった。政治も、外交も話題に上らなかった。

■「ホシ」と呼ばれる職場へ人事異動


その後、水谷は内閣情報調査室から「内閣衛星情報センター」に人事異動した。衛星情報センターとは日本の偵察衛星の運用を担当する部門で、高度な秘密保持を求められる。「ホシ」という隠語で呼ばれる情報機関だ。中国やロシア、北朝鮮の軍事基地の動向を衛星で偵察するという重要な任務だったが、中国専門家の水谷にとっては不本意な異動だった。
偵察衛星の撮影対象のイメージ
この直後、ロシアスパイが動いた。最初に知り合ったリモノフが、「参事官」に出世して東京に再赴任してきたのだ。狙い澄ましたようなタイミングだった。大崎にあるレストランで、リモノフはこういった。

「衛星情報センターに異動したそうですね」
「ええ」


偵察衛星について深く聞いてこなかった。だが、以前とは違って、固い雰囲気があった。別れ際、リモノフはこう念押しした。

「これまで通りの関係を続けましょう」

2か月に一度会食し、現金10万円を渡すことの確認だった。