巣鴨プリズン前のにぎわい

容疑者が釈放されるたびに巣鴨プリズン前は賑わった

A級戦犯たちの処刑が終わった翌日以降、収容者たちは続々と釈放されることになりました。釈放された収容者たちの親族たちは、釈放の日がくるたび巣鴨プリズンの正門の前に集まり、あたかもお祭りのような賑わいを見せました。それもそのはず多いときにはここには1800人以上の未決囚がいたのです。
最後の釈放は昭和33(1958)年5月30日。この年、巣鴨プリズンは解散し「巣鴨拘置所」と名前を変えました。すでに日本は高度成長のさなかにあり(有名な「もはや戦後ではない」が1956年)この地から南をのぞむと、少しずつ大きくなる東京タワーが遠くに見えたそうです。

岸語録「マグロは巣鴨に」

巣鴨プリズンから釈放された代表格が岸信介元首相でしょう。彼は終戦から1948年12月24日までの約3年間をここで過ごしました。

岸信介元首相(この画像は戦後総理大臣に就任した直後)

東條内閣の重要閣僚ではありましたが、東條内閣倒閣の最大の功労者とされることや、元米国駐日大使ジョセフ・グルー氏などから信頼を得ていたことなどが考慮されたといいます。

彼は釈放されてすぐ、実の弟である佐藤栄作官房長官(当時)を訪ねました。ちょうどお昼時で、弟から好きなものを食べさせると言われ、こう所望しました。
「巣鴨にいる間、マグロの刺身が出たことがあって、2切れしかなかったけれど、実にうまかった。出獄した折にはマグロの刺身を腹一杯食べてみたいと思っていた」
栄作は大きな皿に盛ったマグロの刺身を取り寄せました。ところが、岸氏は回想の中で次のようなことを言っています。
「食べてみると、これがいっこうにうまくないんだよ」「やっぱりマグロは巣鴨に限る」
(矢次一夫、伊藤隆 『岸信介の回想』文藝春秋1981年)。

首都高の間から見上げるサンシャイン60