1978年の竣工以来、永らく「日本一高いビル」として君臨してきたサンシャイン60。そのふもとに「永久平和を願って」と刻まれた石碑があるのをご存じでしょうか。ここにはかつて「巣鴨プリズン」と呼ばれた拘置所があり、日本の終戦を象徴する一角だったのです。
(アーカイブマネジメント部 疋田智)
公園の片隅にただ「碑」と
サンシャインシティの隣には東池袋中央公園という公園があります。そこにたたずむのが「永久平和を願って」と刻まれた石碑。しかし、公園の案内板には「碑」としか書いてありません。ここにはかつて巣鴨プリズンという施設があり、そこで東條英機元首相をはじめとするいわゆるA級戦犯たち7人が絞首刑となったのです。

巣鴨プリズンは戦前「巣鴨監獄」「東京拘置所」などと呼ばれました。それがGHQに接収され「SUGAMO PRISON」と名を変え、A級B級C級の戦争犯罪容疑者が収容されたのです。このうちA級戦犯7人、BC級戦犯53人(銃殺刑を含まない)が、ここの「13号鉄扉」を通って処刑されました。戦犯容疑者たちは極東軍事裁判が開かれた市ヶ谷まで通い、最期の日々をここで過ごしていたのです。

解体前の巣鴨プリズンの姿
TBSのアーカイブには昭和46年、巣鴨プリズンが解体される直前のカラー映像が残っていました。
そこには長い廊下に並ぶ独房や、書き物をする筆記室、風呂場などが並んでいます。



上空から巣鴨プリズンを望むと、かなり広い敷地にたくさんの施設が並ぶことが見てとれます。扇形になった庭は、戦犯たちの体操場だったということです。本来、お互いからお互いが見えたり立ち話などができないようにこういう形になったとされています。しかし一方、最期の瞬間を待つ戦犯たちが静かに談笑したり手作りの囲碁を打っていたのを見たという証言もあり、案外、管理は緩やかだったのかも知れません。


よく見ると、プリズンの一角には古墳のようなお墓のような盛土が5つ並ぶところがあります。ここが刑場跡だとされます。それぞれの盛土には花と線香が手向けられており、絞首台にあたるのでしょう。刑死者はここから横浜の火葬場に運ばれ、遺骨は太平洋に散骨されたといいます。

















