無事だった児童たち・・・保護者に児童を引き渡したことに残る後悔のわけ

12年前、小学1年生だった宮世さんは、学校に迎えに来た母親と一緒に津波に巻き込まれたが、何とか助かった。
だが実はそのとき、学校には宮世さんの行方を案じ、気が気でない男性がいた。

田母神信幸 教諭
「当時、浜市小学校にいた田母神です。よろしくお願いします」

当時、田母神教諭らは津波が校舎に到達するまでの間に、学校に残っていた児童を3階に避難させ、安全を確保した。

しかし、宮世さんを含む20人の安否が分からない。迎えに来た保護者に引き渡してしまったためだ。児童の多くは沿岸部に住んでいた。

田母神 教諭
「当時はまだ(保護者が)迎えにきたら帰すというような考え方もありましたので。『いや、絶対ダメです』とまでは言えなかったというのは、反省すべき点かなと思います」

結局、20人は全員無事だった。だが先生は児童を引き渡し、いのちの危険にさらしてしまったことを、いまも後悔していた。

宮世さんが初めて知った、先生たちの思い。

宮世琉弥さん
「すごくびっくりしましたし…本当に有難い気持ちでいっぱいです」

宮世さんの母校は近くの学校と合併し、別の場所に移った。子どもたちにとって宮世さんはいま憧れの存在だ。

学校には、宮世さんの同級生が卒業前に書いた3月11日への思いが残されていた。

震災後、転校した宮世さんは初めて目にする。

宮世琉弥さん
「“命を繋ぐ”“大切な命を守る”ために。色んな人に届いてほしい」