史上最年少で理事長「商店主たちの多様な意見を受け入れ、飽きのこない街に」

―――商店街の組合の理事長には2003年になられました。史上最年少の理事長らしいですね?
そうですね。「きみが一番暇やろから理事長をやれ」みたいな感じでした(笑)。会社を経営しながら理事長も、というのはまだ若い時でしたから大変でしたが、面白かったですね。会社と理事長の仕事は、まったく別でかけ離れているわけではなくて、私にとっては同じなんです。理事長の仕事は会社経営の延長線上だと思っているんです。時間を犠牲にしてではなくて、自分にとってすごくプラスになっていると思います。
―――でも南京町は100店舗くらいあって、その中でいろんな意見とか、いろんなモノの見方をされている人もいらっしゃると思うのですが、1つにまとめるポイントは?
そもそも、まとめようと思っていないです。「好き勝手にやって」と思っています。当然、いけないことをやりすぎると注意するんですけど、ある程度、多様性を受け入れるということですかね。相互理解が必要で、そこをしっかりしているとうまく運営していけると思っています。あまり組合が「ああせい、こうせい」と言えばかえってよくないと思うんです。南京町はテーマパークではないので、多様性があってこその南京町で、だから飽きのこない街なんだと思います。
転機は1987年、27万人が集まった「南京町春節祭」

―――南京町の大きな転機は何でしたか?
南京町は1868年の神戸港開港とともに日本人と華僑が店を構える市場として始まりました。太平洋戦争では地域のほとんどが焼失して、戦後に闇市が広がり、外国人バーが林立した少し危険なイメージがする街でした。そこで商店主たちが組合を作り、南楼門や長安門などの街のシンボルを竣工し、街づくりに取り組みました。一番大きな転機は、1987年に初めて開いた南京町春節祭のイベントですね。4日間で27万人が押し寄せました。27万人って夢みているような光景で、自分たちがやったイベントがここまでみなさんに響いて来ていただくって本当に感無量でしたね。あの祭りで南京町は方向性が定まったと思います。
―――南京町の強みは?
店主とか従業員がそれぞれ好きな形で自己表現をしていて、それでいて常にコミュニティという形を大切に守っているという点ですかね。例えば、街の基調は赤と黄色とグリーンです。中国でいうと陽の色で、すごく気持ちが晴れやかになって前向きになって高揚するような、ハッピーになるようなそういう色使いをしています。異国情緒が味わえ、中華料理が有名ですが、中華料理以外のスイーツや日本料理、洋食とか全てがこの街に凝縮しているので選択肢が多い。そういったところが南京町の強みですかね。