神戸屈指の観光地・南京町。中華料理店や雑貨店など100店舗あまりが軒を連ね、年間600万人が訪れる。その中で、ひときわ長い行列を作り、いつも賑わう豚饅頭店「老祥記」。1915年創業で「豚饅頭」という呼び名の発祥の店だ。この店の曹英生社長は、南京町商店街振興組合の理事長を2003年から務めている。1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けながら、「自粛を自粛する」をスローガンに早くから炊き出しを行うなど復興に尽力し、新型コロナウイルスの逆風にも耐えてきた。そしていま、アフターコロナを見据えた南京町の未来図をどう描くのか。曹理事長に聞いた。
「南京町の豚饅頭屋」から大行列ができる超人気店に

―――きょうも南京町は多くの人たちで賑わっていて、老祥記にも長い行列ができていました。
コロナ禍のつらい時期が長かったのですが、ようやく行動制限がなくなる状況になりました。とてもうれしいです。老祥記は、私の小さい頃は行列ができるような店ではなくて、どちらかというとのんびりした雰囲気の店でした。「豚饅頭」は、私のおじいちゃんが付けた名前です。ちょうど赤ちゃんのこぶしくらいの大きさで、皮は麹で発酵させてあるので肉汁と相まって日本酒のような香りがするのが特徴です。

―――曹さんはどのような小中学生でしたか?
意外というのも変ですが、とにかく真面目でした。きちんと勉強をするのですが、その割にはあまり成績が上がらないタイプ。長男で、男の子は1人しかいなかったので、小学生の頃から「店を継ぐんだ」と。親戚もそうですが、おばあちゃんからも「早く店を継いでほしい」と言われていました。でも、当時の老祥記はまだあまり繁盛していなかったので、私も小学生くらいまでは屋号を知らなかったほどです。ほとんどの人が「南京町の豚饅頭屋」と呼んでいましたから。